七尾軍艦所跡(読み)ななおぐんかんじよあと

日本歴史地名大系 「七尾軍艦所跡」の解説

七尾軍艦所跡
ななおぐんかんじよあと

[現在地名]七尾市矢田新町

文久二年(一八六二)矢田やた万行まんぎよう両村境の出崎に作られた加賀藩の軍艦所。前年幕府から、英艦が測量のために加賀藩領海に入る可能性があるとの通告を受け、壮猶そうゆう(現金沢市)の組織から航海部門を独立させ、七尾と金沢西にし町に軍艦所を設けた。蒸気製造所ともよばれ、桟橋・造船所・製鉄所・機械室・起重機のほか、倉庫・職員住宅・工員住宅があった。広さは約二万坪。加賀藩には世にいう梅鉢海軍として五〇〇トンの李白里丸を筆頭に七隻の軍艦があり、平時は七尾湊に係留されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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