応用化学者。嘉永(かえい)7年11月3日、加賀藩典医高峰元陸(げんろく)の長子として高岡に生まれる。藩校明倫堂に学び、選抜されて長崎に留学(1865)、京都の安達兵学塾(あだちへいがくじゅく)、大阪の適塾(てきじゅく)、大阪仮病院(のち大阪医学校)に学び、大阪舎密局(せいみきょく)へ聴講に行き分析術を学び、1879年(明治12)工部大学校(東京大学工学部の前身)化学科第1回卒業生となった。その後、イギリス、グラスゴー大学へ留学、帰国後農商務省工務局に勤務、和紙・製塩・清酒醸造の改良研究に従事、専売特許局次長と分析課長となった。また1887年渋沢栄一らと日本最初の人造肥料会社を設立、過リン酸石灰を製造、さらには高峰元麹(もとこうじ)改良法の特許を得(1890)、アメリカへ渡り、麹から強力消化剤タカジアスターゼを創製(1892)して特許を得(1894)、パーク・デビス社から市販されることとなり同社顧問となった。
ニューヨークに高峰研究所を設け、同社依頼の副腎(ふくじん)髄質ホルモンの抽出を行い、1901年(明治34)弟子上中啓三(うえなかけいぞう)(1876―1960)とともにその有効成分の一つを結晶状に単離し、アドレナリンと名づけた。これは世界の化学界で競争されていたホルモン初の結晶化であり、1912年帝国学士院賞第一号を受けた。翌1913年(大正2)帰国し、「国民科学研究所」を創立することが軍艦をつくるより価値のあることと説き、この提案は理化学研究所の創立となって実現した。三共株式会社の社長を務めるかたわら、カロラインCaroline夫人(1866―1954)(アメリカ人)とともに日米文化交流に尽くし、大正11年7月22日ニューヨークで没した。
[岩田敦子]
応用化学者。加賀藩典医の高峰元陸(げんろく)(のち,精一と改名)の長男として,現在の富山県高岡市に生まれる。藩校明倫堂で学んだ後,11歳のときに長崎に留学。引き続き京都の安達兵学塾,大坂の適塾,七尾語学所,大坂医学校で学び,さらに大阪舎密(せいみ)学校でリッターH.Ritterに分析術を学ぶ。1872年上京して工部省工学寮を経て,73年工部学校(1878年に工部大学校に昇格,東京大学工学部の前身となる)に入学。79年第1回卒業生となる。翌80年から3年間イギリスのグラスゴー大学に留学。帰国後,農商務省に入り,和紙製造,清酒醸造などの改良を手がける。84年ニューオーリンズの万国工業博覧会に日本代表として出席し,出品されたリン酸肥料に着目。帰国後,渋沢栄一らの協力を得て,86年東京人造肥料会社を設立,日本最初の人造肥料をつくる。90年清酒醸造に関する高峰元麴(もとこうじ)改良法の特許を得,また渡米して元麴を使ってトウモロコシからアルコールをつくる方法,および小麦のふすまから元麴をつくる方法を開発するが,モルト業者の反対にあい事業は失敗する。94年小麦ふすまの麴からタカジアスターゼの抽出に成功,特許を得て,パーク・デービス社より強力消化剤として発売した(日本においては1913年に三共(株)を設立し,独占販売権をゆだねた)。また同社の依頼を受け,上中啓三と協力してウシの副腎から有効成分の抽出を手がけ,1900年ホルモンとして最初の結晶化に成功し,アドレナリンと命名した。12年学士院賞受賞。理化学研究所の設立にも貢献した。アメリカ婦人キャロラインと結婚,晩年アメリカに帰化,ニューヨークで没した。
執筆者:道家 達将
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(村上陽一郎)
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明治・大正期の化学者 三共(株)初代社長。
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明治期の日本の応用化学者,企業家.加賀藩典医の長男として,嘉永7年9月13日越中高岡に生まれる.1879年工部大学校一期生として卒業,翌年より3年間スコットランドのグラスゴー大学に留学.農商務省技師となり,専売特許局次長,分析課長などを歴任した.1887年日本最初の人造肥料会社を設立.1891年取得した元麹(種麹を改良したもの)改良法特許をもとにウイスキー製造業に従事するために渡米.事業は失敗したが,その研究過程で,麹から強力消化剤タカジアスターゼを発見し,製造特許を取得.その販売権を譲ったアメリカ製薬会社の研究顧問となり,1897年ニューヨークに自らの研究室を設立.1900年助手の上中啓三(1876~1960年)とともに,副腎から生理作用のある有効成分の結晶化に成功し,アドレナリンと命名(世界最初のホルモン結晶化)した.ニューヨーク郊外で死去.夫人はアメリカ人.
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1854.11.3~1922.7.22
明治・大正期の化学者。越中国生れ。工部大学校卒。イギリス留学。農商務省で伝統的産物の化学的生産を研究。東京人造肥料会社を設立しリン酸肥料を開発。トウモロコシの醸造法を開発し,アメリカに招かれた。1894年(明治27)に麹菌からタカジアスターゼの抽出に成功。1900年牛の副腎からアドレナリンを分離。アメリカに高峰研究所を創設。帰国して理化学研究所の設立に尽力。学士院賞受賞。
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…高峰譲吉によって結晶形として得られた最初のホルモン。エピネフリンepinephrineとも呼ばれ,芳香族アミノ酸から生成されるアミン類であるカテコールアミンcatecholamineの一つ。…
※「高峰譲吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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