日本歴史地名大系 「矢田村」の解説
矢田村
やだむら
応永一四年(一四〇七)一二月九日足利義満は
矢田村
やたむら
村名は正保四年(一六四七)の西市町の紅粉屋家文書に矢田村とみえる。「地下上申」によれば、矢田新左衛門尉宗武が領主であり開祖であったことが名の由来で、平安中期頃からこの付近の有力豪族であった豊田氏が根拠とした
古代・中世の村の様子は不詳であるが、豊田氏発展の一翼を担った地であったことは、地理的にも十分に考えられる。村内
文明年間(一四六九―八七)になると右田弘詮が楢原村の
矢田村
やたむら
- 石川県:七尾市
- 矢田村
矢田村
やたむら
- 奈良県:大和郡山市
- 矢田村
矢田丘陵東麓に所在。「続日本紀」和銅七年(七一四)一一月条に「箭田郷」とみえ、天慶三年(九四〇)五月の大和国矢田郷長解(市島謙吉氏所蔵文書)に「矢田郷長解 申売買墾田立券文事 合壱段 在添下郡京南五条一里卅四坪五坪」とあり「延喜式」神名帳に
矢田村
やだむら
- 三重県:桑名市
- 矢田村
現桑名市の南部にあり、
矢田村
やたむら
矢田村
やたむら
- 山口県:山口市
- 矢田村
「和名抄」に記されている古代の郷に「八田」があり、近世の矢田村付近とされる。弘治三年(一五五七)一〇月一七日付の原武信宛、粟屋元親以下七名連署の宛行状(「閥閲録」所収原権左衛門家文書)に「周防国吉敷郡矢田令内壱石足
矢田村
やだむら
矢田村
やたむら
- 愛媛県:今治市
- 矢田村
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)には村名はなく、阿方村に含まれていた。
矢田村
やだむら
矢田村
やたむら
- 新潟県:柏崎市
- 矢田村
東は
矢田村
やたむら
小矢部川と庄川の合流点、
矢田村
やたむら
矢田村
やだむら
矢田村
やたむら
矢田村
やたむら
- 愛知県:常滑市
- 矢田村
村の中央を北東から南西へと矢田川が流れる。北は
慶応三年(一八六七)の村役人からの若イ者エ申渡一札(常滑市誌)によると、農業に出精すべきことや「博奕初メ掛之勝負一切致シ間敷事」「不限昼夜店棚エ一切出入致シ間敷□若入□品買物有之候ハヽ、家内之者を遣し、但シ親類隣家慶事仏事ニ使ニ行事ハ不苦候事」「宿元之御主初メ中老より申諭候ハヽ早速□畏候事」などとある。
矢田村
やだむら
- 青森県:青森市
- 矢田村
南は
矢田村
やだむら
矢田村
やだむら
矢田村
やたむら
矢田村
やたむら
矢田村
やだんむら
矢田村
やだむら
矢田村
やだむら
矢田村
やたむら
矢田村
やたむら
矢田村
やたむら
矢田村
やたむら
- 千葉県:市原市
- 矢田村
矢田村
やたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報