洋学所(読み)ヨウガクショ

デジタル大辞泉 「洋学所」の意味・読み・例文・類語

ようがく‐しょ〔ヤウガク‐〕【洋学所】

江戸幕府洋学研究教育機関。天文方で洋書翻訳にあたっていた蕃書和解御用を安政2年(1855)に独立させたもの。翌年蕃書調所ばんしょしらべしょ改称

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精選版 日本国語大辞典 「洋学所」の意味・読み・例文・類語

ようがく‐しょヤウガク‥【洋学所】

  1. 幕末における江戸幕府の外交文書翻訳、洋学教育機関。享和三年(一八〇三)以来天文台暦局で行なわれていた洋書翻訳事業を文化八年(一八一一)に強化して、蕃書和解御用の一局を天文方に設置し、さらに安政二年(一八五五八月に独立させて洋学所とし、九段坂下に置いた。翌年二月、蕃書調所と改称。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「洋学所」の解説

洋学所
ようがくしょ

江戸幕府の洋学研究機関。蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の前身。1853年(嘉永6)のペリー来航を契機に高まった外交文書翻訳・外国事情調査・洋式軍事技術導入の必要に応じるため,従来その事業を行っていた天文方の蛮書和解御用の1局ではなく,独立した洋学所の設立がはかられた。55年(安政2)古賀謹一郎頭取に任命されて開設準備が行われ,56年2月に蕃書調所と改称し,7月開業した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洋学所」の意味・わかりやすい解説

洋学所
ようがくしょ

幕末の幕府の研究所蕃書調所の前身。安政2 (1855) 年天文方蛮書和解御用を独立させ,江戸九段下に建立。初代頭取は古賀謹一郎

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旺文社日本史事典 三訂版 「洋学所」の解説

洋学所
ようがくしょ

幕末,幕府の洋学研究所
1855年,天文方の蕃書和解御用を独立させ洋学所と改称し,江戸九段坂下に開設。洋書翻訳と洋学教授を行った。翌年蕃書調所と改め,のちさらに洋書調所開成所と改称した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「洋学所」の意味・わかりやすい解説

洋学所
ようがくしょ

蕃書調所

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世界大百科事典(旧版)内の洋学所の言及

【蕃書調所】より

…またこれとならんで軍備の充実が緊急な課題となった。そこでこれに対処するため洋学校の設立を図り,55年(安政2)に古賀増を洋学所頭取に任命し,翌年2月に洋学所を蕃書調所と改称,九段坂下の旗本屋敷を改修して校舎にあて,同年7月に開所,翌57年1月から開講した。教官の陣容は教授職2名で,箕作阮甫(みつくりげんぽ)(津山藩医)と杉田成卿が任命され,教授手伝に川本幸民(三田藩医),高畠五郎(徳島藩医),松木弘安(薩摩藩医)ら6名,ほかに句読教授3名が任命されたが,その後逐次補充増員されて幕末に及んだ。…

※「洋学所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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