七次村(読み)ななつぎむら

日本歴史地名大系 「七次村」の解説

七次村
ななつぎむら

[現在地名]白井町七次台ななつぎだい一―四丁目・清水口しみずぐち一―三丁目・けやきだい二丁目

中木戸なかきど新田の東、神崎かんざき川上流の支谷の両岸を占め、川沿いに田地、台地下に集落がある。慶長七年(一六〇二)検地が行われた後に度々検地帳を紛失したため、宝暦一三年(一七六三)に旗本新見氏が改め、新しい検地帳を仕立てたという(松村家文書)。寛永元年(一六二四)当村の六〇石が旗本新見領となった(川村家文書)。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に村名がみえ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高六八石余、旗本新見・長井・市川・山角四氏の相給。


七次村
ななつぎむら

[現在地名]藤沢市高倉たかくら

さかい川右岸の台地上に位置。西は下土棚しもつちだな村・長後ちようご村、南は今田いまだ村、北は千束せんぞく村に接する。村内を八王子道(滝山道)・大山道が通る。七木ななつぎ郷ともいう。小田原衆所領役帳には垪和又太郎「四拾五貫七百六十文 東郡千束 七ツ木」とある。天正一四年(一五八六)一二月二五日の北条家朱印状写(県史三)によれば紺屋役不出の一五ヵ所のなかに「七次」がみえる。

慶長一九年(一六一四)旗本遠藤領となり、同年四月一八日の遠藤氏への知行宛行状(県史八)には「相模国東郡七木郷之内弐百石事宛行畢、全領知者也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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