藤沢市(読み)フジサワシ

デジタル大辞泉 「藤沢市」の意味・読み・例文・類語

ふじさわ‐し〔ふぢさは‐〕【藤沢市】

藤沢

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日本歴史地名大系 「藤沢市」の解説

藤沢市
ふじさわし

面積:六九・六三平方キロ

南に相模湾を望み、北は大和市・綾瀬あやせ市、東は横浜市戸塚とつか区・鎌倉市、西は海老名えびな市・高座こうざ寒川さむかわ町・茅ヶ崎ちがさき市に接する。北は相模野台地の南端にあたり、標高約四〇―五〇メートルほどの平坦な台地が旧東海道辺りまで続き、市域の三分の二を占める。南は湘南しようなん砂丘とよばれる低地帯となっている。東部には比較的標高の高い地形が認められる。江の島片瀬かたせ山・村岡むらおかにかけては起伏に富んだ丘陵地がある。市域のほぼ中央を引地ひきじ川が、東端部に接してさかい川が北から南に貫流する。また海老名市との境を目久尻めくじり川が東北から南西に寒川町に流れ、茅ヶ崎市との境を小出こいで川が西流する。さらに相模野台地の南端、善行ぜんぎようから南流する白旗しらはた川、柄沢からさわから大鋸だいぎりに流れるたき川はともに境川に合流し、柏尾かしお川は鎌倉市から西流して境川に合流する。境川は川名かわな片瀬両地区では片瀬川とよんでいる。市域の大部分は引地川・境川の流域に展開する平坦地で、畑・水田地帯をなしている。

市域はかつて高座郡および鎌倉郡に属し、昭和一五年(一九四〇)市制施行、市名は旧宿駅名に由来する。

〔原始・古代〕

引地川中流左岸の稲荷いなり台地S地点遺跡で湘南地方最初の先土器遺跡が発見されている。縄文遺跡は境川・白旗川・柏尾川・引地川・小糸こいと川流域の約一〇〇ヵ所に分布し、中期の集落跡の石川山田いしかわやまだ遺跡は代表的なもので、後期の西富にしとみ貝塚からも住居跡がみつかっている。弥生遺跡では白旗川や引地川中流域の低湿地帯に近い稲荷台地南端部に稲荷台地遺跡をはじめとする中・後期遺跡が密集している。市域には大古墳はみられず、片瀬川左岸丘陵の川名新林かわなしんばやし横穴群などの横穴が数多くある。縄文・弥生遺跡などが重複する古代集落の大源太おおげんた遺跡などもある。

正倉院御物のなかの調・庸の布に記載される方瀬かたせ(天平勝宝元年一〇月「調庸布墨書」正倉院文書)は、現在の片瀬、つまり片瀬丘陵と境川とに挟まれた境川流域の左岸地域とされ、この境川流域の左側地域の背後の片瀬丘陵の斜面には、数多くの横穴墓の存在が知られており、奈良・平安時代の大きな集落の存在が考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤沢市」の意味・わかりやすい解説

藤沢〔市〕
ふじさわ

神奈川県南部の市。相模湾にのぞみ中央部を境川が流れる。北半は相模原台地,南半は湘南砂丘帯にある。 1940年市制。 41年村岡村,42年六会 (むつあい) 村,47年片瀬町,55年小出村の一部,御所見 (ごしょみ) 村,渋谷町の一部をそれぞれ編入。地名の由来は諸説あり,淵沢が転訛したものなどといわれる。室町時代から時宗の総本山清浄光寺 (遊行寺 ) の門前町として発展し,江戸時代には東海道の宿場町としてもにぎわった。東海道本線開通 (1887) 以後,中心は藤沢駅周辺に移った。南部の鵠沼辻堂は昭和初期から別荘地となり,現在は住宅地。第2次世界大戦中から東海道本線に沿って工場が立地し,戦後は北部にも大規模工場や工業団地が進出している。江の島は江戸時代から江島神社の参詣客が多く,片瀬はその門前町として発達。清浄光寺には,応永 23 (1416) 年の上杉禅秀の乱で戦死した両軍の人馬を供養した敵味方供養塔 (史跡) がある。海岸は砂浜が続き,夏季は海水浴場としてにぎわう。 JR東海道本線,小田急電鉄江ノ島線,江ノ島電鉄,国道1号線,134号線,467号線が通り,新湘南バイパスの起点。面積 69.56km2。人口 43万6905(2020)。

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