日本歴史地名大系 「七浦村」の解説 七浦村ななうらむら 山形県:山形市旧東村山郡地区七浦村[現在地名]山形市七浦青柳(あおやぎ)村の北西に位置し、立谷(たちや)・高瀬(たかせ)両川の複合扇状地の扇端部平地に立地。当村南端で馬見(まみ)ヶ崎(さき)川と高瀬川が合流して白(しら)川となり、西境を北西流する。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に村名がみえ、高八八六石余。正保郷帳では田七七五石余・畑一一〇石余・寺社領二〇石余。明和七年(一七七〇)の村明細帳(市立館林図書館蔵)によれば高九七三石余、反別田四一町三反余・畑一三町三反余・新田一町七反余・新畑四町九反余、ほかに山形城下の正明(しようみよう)寺(一二石)・宝光(ほうこう)院(一〇石)・龍門(りゆうもん)寺(三石)の寺領があった。 七浦村ななうらむら 新潟県:北蒲原郡笹神村七浦村[現在地名]笹神村七浦南の陣(じん)ヶ峰西麓に位置し、東は山田(やまだ)村、西は宮島(みやじま)村に接する。慶長三年(一五九八)の村上頼勝知行宛行状(中村勝利氏蔵)に「百石屋すたノ内七浦村」とあり、村上藩主より中村小覚に宛行われている。同様の元和二年(一六一六)の村上忠勝知行宛行状(同氏蔵)に「百石安田くミ七浦村」とみえる。貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳には高一〇六石余とある。宝暦一一年(一七六一)の御巡見様御案内帳(渡辺家文書)によれば白河藩領で、高一三三石五斗余・田畑反別一一町七反余、家数一九(高持一四・無高五)、男五二・女四三、馬四。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by