七越峰(読み)ななこしのみね

日本歴史地名大系 「七越峰」の解説

七越峰
ななこしのみね

[現在地名]本宮町高山・本宮

熊野川の左岸にあり、標高二六二メートル。「七かしらの峯」ともいう(熊野巡覧記)。役小角が一千日修行をした山と伝え、西行は「熊野へまゐりけるに、七越の峯の月を見て詠みける」として

<資料は省略されています>

と詠んでいる(山家集)。山上に山伏行場であるそなえ宿があり、鎌倉時代初期の成立といわれる「諸山縁起」に大峯おおみねの宿の一つとして備宿がみえる。正安三年(一三〇一)頃の「宴曲抄」に「向へる峯は備崎。行道も知られつゝ」とある。「続風土記」は熊野本宮の奥院といわれる玉置たまき(現奈良県吉野郡十津川村)からの二の宿とする。「西国三十三所名所図会」は「聖護院・三宝院大峯より是へかけ出給ふとき、当所長床坊其外松明を灯して御むかひに出るよし」と記し、天保一〇年(一八三九)峯入りを行った聖護院門跡雄仁親王は、九月二日吹越ふきこし宿での護摩施行後、熊野山伏の案内で七越峯を越え、熊野本宮大社に入っている(「天保十亥年御入峰供奉日記」天理図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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