本宮町(読み)もとみやまち

日本歴史地名大系 「本宮町」の解説

本宮町
もとみやまち

面積:三九・五四平方キロ

安達郡の南西部に位置。町域は本宮盆地の南半を占め、安達太良連峰の支峰大名倉おおなぐら(五七六・三メートル)を中心とした小山脈群をも含む。南と西は郡山市、北西は大玉おおたま村、東は白沢しらさわ村に接する。東側を阿武隈川が北流し、南境を五百ごひやく川、市街の中央を安達太良川、北部を百日ひやくにち(枝沢川)がそれぞれ東流し阿武隈川に合流する。大名倉山は大玉村にまたがってそびえて分水嶺をなし、その西側を矢沢やざわ川が南流し五百川に注ぐ。阿武隈川に沿って形成される市街を県道須賀川―二本松(もと国道四号、通称奥州街道)が南北に通り、その西をJR東北本線と国道四号が並行して走る。さらに西側、町の中央部を東北自動車道が南北に貫通し、荒井あらいに本宮インターチェンジ、天ケあまがに安達太良サービスエリアがある。また岩根いわねの矢沢川・五百川の合流点を郡山方面から南西に磐越自動車道が通じる。そのほか主要地方道・県道が白沢村・大玉村・二本松市・郡山市へ四通八達している。

五百川の河岸段丘上には、縄文・弥生・古墳・奈良・平安各時代の遺跡があり、安達太良山南東山麓に広がる大玉村・本宮町の一画は、謡曲などで知られる安達ヶ原と目されるところで、二子塚ふたごづか(大玉村)天王壇てんのうだん庚申壇こうしんだんといった古墳時代中期の遺跡が多く所在し、畿内勢力の影響を受けた地方豪族の存在をうかがうことができる。「万葉集」に「安太多良」を詠んだ歌が三首あり、都人のよく知る山であったらしい。久安二年(一一四六)安達太良山頂にあった安達太良明神を菅森すがもり山に遷座し、以後本宮の地名が起こったといわれる。南北朝期には岩色いわいろ城に南朝方が、五百川付近や本宮城には北朝方が拠って争った。その後本宮城には二本松の畠山氏の一族である鹿子田氏が入り、次いで本宮氏が居城した。本宮氏は畠山氏に攻め落され、天文一五年(一五四六)磐城に走り、再び鹿子田氏が入るが、天正一三年(一五八五)一〇月伊達政宗に降ったと伝える。

本宮町
ほんぐうちよう

面積:二〇四・三九平方キロ

東牟婁郡の北部に位置し、東から南は熊野川くまのがわ町、北は奈良県吉野郡十津川とつかわ村、西は西牟婁郡中辺路なかへち町・大塔おおとう村に接する。北東部を熊野川が流れ、その支流大塔川・四村よむら川・音無おとなし川が中央部の本宮盆地に向かって流れる。四村川沿いには明治一四年(一八八一)に改修された国道三一一号が東西に通り、熊野川に並行して南北に走る国道一六八号と本宮で合する。集落は河川沿いに点在し、面積の約九五パーセントが山林で占められ、しかも町外所有が大部分で、田畑は少ない。中心集落本宮は熊野三山の中心熊野本宮大社の門前町として開けたところで、近くの湯峯ゆのみね温泉・川湯かわゆ温泉とともに観光客が多く、吉野熊野国立公園に含まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報