日本歴史地名大系 「万々金村」の解説 万々金村ままがねむら 大分県:日田郡大山町万々金村[現在地名]大山町西大山(にしおおやま) 中川原(なかごうら)・吾々路(ごごろ)・田来原(たらいばる)・上山(かみやま)・下山(しもやま)・加峯(かぶ)・綿打(わたうち)・小平(おひら)・東川内(ひがしごうち)・野瀬部(のせぶ)・後迫(うしろざこ)・小切畑(おぎりはた)・上野(うえの)・松原(まつばら)大山川左岸の大半部を占め、同川流域と支流赤石(あかいし)川・大野(おおの)川筋などに点在する集落からなる。小切畑の地は開発が古かったと考えられ、近世初頭の村切に伴い周辺の集落とともに万々金村の内として再編成されたが、「豊後国志」などに万々金と「小切畠」が並んで記されるところから、より独立した集落とみられる。天正八年(一五八〇)と推定される四月二六日大友義統感状(石松文書)に「井手口松原村」とみえ、大友氏に敗れた田北紹鉄が筑前に敗走する途次、当地で首をはねられたという。同年四月一三日の田北鑑重(紹鉄)位牌銘(大友史料)によれば、墓所は「大山丿庄万々金村之内、松原ト申小村」の星(ほし)ヶ淵にあり、位牌を置いた宝積(ほうしやく)寺の上にはその城山があると記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by