日本歴史地名大系 「万善寺村」の解説 万善寺村ばんぜんじむら 山形県:東根市万善寺村[現在地名]東根市泉郷(いずみごう)白水(しろみず)川右岸に沿い、宝暦一一年(一七六一)の村明細帳(小山田文書)に長さ三町二〇間とあり、東は後沢(うしろざわ)村へ九町、南は野川(のがわ)村へ一六町余、枝郷として瀬戸山(せとやま)長さ四〇間、和合(わごう)長さ二町と記す。村名は万善寺の寺号より出たという(山形県地理名勝史蹟集成)。最上氏領から元和八年(一六二二)山形藩領、寛文八年(一六六八)下野宇都宮藩領、天和元年(一六八一)陸奥白河藩領、寛保元年(一七四一)幕府領、安政二年(一八五五)以降松前藩領。寛永一三年(一六三六)の保科氏領知目録に万膳寺村とあり、高三二〇石余。 万善寺村ばんぜんじむら 新潟県:三島郡寺泊町万善寺村[現在地名]寺泊町万善寺敦(つる)ヶ曾根(そね)村の南、三島(みしま)丘陵の最北端の丘陵縁辺に集落がある。和銅元年(七〇八)の開基と伝えられる真言宗船岡山万善寺とともに村の歩みが始まったといわれる。京田(きようでん)I号塚・万善寺I号塚など二〇個の塚が確認されている。字潟端(かたばた)地内から縄文土器・石鏃のほか須恵器が、字堂山(どうやま)からは須恵器が出土している。字前田(まえだ)地内の水田からは、万善寺草創のもとといわれる船行(せんぎよう)寺跡が発見されている。正保国絵図に高二四〇石余で幕府領。慶安二年(一六四九)村上藩領となって以降の支配の変遷は大和田(おおわだ)村と同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by