万石郷
まんごくごう
中世の郷で万石一帯に比定される。史料には万国郷・万石村ともみえる。文和三年(一三五四)一一月二四日の二階堂成藤奉書(明王院文書)に「金田郷内万石大崎村」とみえ、鎌倉府は金田保(金田郷)に属した万石・大崎村の地頭代に鎌倉明王院春日社への正税の究済を命じた。享徳の大乱勃発直後の享徳四年(一四五五)に作成されたと推測される年未詳岩松氏本知行分注文(正木文書)によると、「万国郷」は上野新田(現群馬県新田市)の岩松氏が過去に権利をもっており、その後鹿倉氏が知行していたが、享徳の大乱で鹿倉氏が支配権を失い、これを機に岩松持国がこの地の獲得を企てたと推測できる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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