日本歴史地名大系 「万福寺跡」の解説 万福寺跡まんぷくじあと 広島県:世羅郡世羅町堀越村万福寺跡[現在地名]世羅町堀越 日南堀越(ほりこし)の西端、聖(ひじり)神社北方にある下郷(しもごう)の東谷奥に位置する中世寺院の跡。小坂山と号し、臨済宗で薬師如来を本尊としていた。寺町の康徳(てらまちのこうとく)寺の隠居寺と伝える。残存する石塔の紀年銘から室町初期の創建と推定される。寺域は明確ではないが幅五、六十メートル、奥行約一〇〇メートルの広さの平地がある。県指定史跡。天文一六年(一五四七)三月二三日の永末越中守・小寺十郎左衛門宛の毛利氏奉行人連署状(「閥閲録」所収小寺忠右衛門家文書)によると、万福寺堂供養として毛利氏から具足が送られ、堀越城主小寺敬秀の追善供養のために俵物四〇俵が寄進されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報