堀越村(読み)ほりこしむら

日本歴史地名大系 「堀越村」の解説

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]大胡町堀越

横沢よこざわ村・滝窪たきくぼ村の東に位置し、東は荒砥あらと川を挟んで河原浜かわらはま村、南は宮関みやぜき村。河原浜の大胡城跡から堀を越えた地域にあたる。村の北部は一丁田いつちようだ正治皆戸しようじかいとで独立した集落をなし、上組かみぐみ・下組のほかに新宿しんしゆくを飛地としている。灌漑用水の不足する地なので一丁田沼・尾引おひき沼・薬師やくし沼・五拾山ごじゆうやま沼・しん沼・勝山かつやま沼などがある。「松陰私語」に「当手者河東赤城山麓堀越張陣、大手者五千騎、搦手者二千五百余騎」とある。堀越に陣を張ったのは大胡城でなく堀越字新宿のいま城のことであろうか。天正一八年(一五九〇)徳川家康関東入国後大胡城主牧野氏の支配に入り、字殿町とのまちを中心として武家屋敷が形成され、その北部に養林ようりん寺・長善ちようぜん寺のほか金胎こんたい寺・永龍えいりゆう寺・東福とうふく寺・永閑えいかん寺等の寺院が配置された。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]弘前市堀越

弘前城下の南東にあり、東北は支村の川合かわい村、南は大沢おおさわ村、西北は門外かどけ村、西南は清水森しみずもり村に続き、東はひら川に面する。村の北を大和沢おおわさわ川が東流し、平川に合流する。

建武四年(一三三七)七月日の曾我貞光申状案(遠野南部文書)に、建武三年のこととして「同年七月 新里堀越両所被楯築之時 敵倉光孫三郎出張致合戦之時 依抽軍忠 若党印東小四郎光盛仕分捕候了 次小河又三郎貞長左耳下被射通候了 仕生虜二人候了」とある。堀越は新里にさとと並んで、曾我貞光が館を築いたところで、南北朝時代には北朝方の曾我氏の拠点となっていた。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「堀越」とある。弘前藩祖津軽為信の父武田甚三郎守信の居城があったところで、為信は津軽統一後の文禄三年(一五九四)大浦おおうら(現中津軽郡岩木町)から堀越に本拠を移した。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]袋井市堀越

正保郷帳では周知すち郡、元禄郷帳・天保郷帳などでは山名やまな郡に所属。川井かわい村の北、宇刈うがり川下流右岸、可睡斎より南西に延びた丘陵先端部に立地する。「親元日記」寛正六年(一四六五)八月二日条所収の同年七月二八日の伊勢貞藤書状に「堀越」とみえ、今川治部少輔跡の遠州河井かわい・堀越・中村なかむらなどが幕府料所とされている。治部少輔(範将か)今川了俊の子貞臣の子孫で、長禄三年(一四五九)頃起こった遠江騒乱で敗死し、その所領が没収された。「今川記」や「今川家譜」はこれらの所領は了俊が知行していたもので、了俊は応永六年(一三九九)の応永の乱に連座し失脚後貞臣とともに当地に閑居したとする。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]水原町堀越

東は越御堂こしみどう村、西は小境新こざかいしん村。享徳三年(一四五四)四月二八日の中条秀叟(房資)記録(三浦和田中条氏文書)に「堀越之押寄要害」とみえ、応永の大乱で親関東公方派の守護代長尾性景(邦景)を討つため、守護上杉房朝方について兵を挙げた上杉頼藤・房資らが、応永三〇年(一四二三)に白河氏の守る堀越城に攻寄せ、乗っ取っている。室町後期の蒲原郡段銭帳(米沢市立図書館蔵)に堀越孫六方として一一〇町とある。文禄四年(一五九五)の検地を契機として、翌五年八月と九月に直江兼続菅名すがな(現中蒲原郡村松町)在番の丸田俊次に対し、武田信清の所領であった堀越分のうち指出検地によって出た打出分を地頭信清に返却し開発を続けるように命ずるとともに、堀越分を来年より直轄地とし、代官に俊次を任命している(「直江兼続条目写」上松文書・「直江兼続条書」徴古存墨)

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]世羅町堀越

甲山こうざん盆地の西端にある比高約五〇メートルの丘陵西側に展開する盆地に位置し、大田おおた(現芦田川)北岸の低地部と、その北部の山地からなる。南は大田川を隔てて中原なかばら村、東は寺町てらまち村、西は京丸きようまる村に接する。寺町村に二ヵ所、京丸村に四ヵ所の飛郷がある。

弥生時代中期の堀越遺跡が大田川周辺の微高地上にあり、付近の低湿地が水田に利用されていたと考えられる。万福まんぷく寺跡南方の丘陵南面に位置する神田かんだ二号古墳は六世紀末から七世紀初頭の両袖式の横穴式石室を有し、東南に開口するが、土砂の採取により崩壊し、東側の側壁を欠く。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]福知山市字堀越

土師はぜ川の中流にあり、東と北は三俣みまた村、南は萩原はぎわら村と生野いくの村、西は正後寺しようごじ村に接する。西方小倉おぐら山と土師川の間の水田は、この山間部としては広い。俗に「堀越田圃」という。土師川の段丘上にあって、灌漑用水が得がたかったが、上流の芦淵あしぶち(現天田郡三和町)なし井堰を設け、それから北方へ萩原の段丘崖の中腹に水路を掘削して水を導いている。これを甚兵衛溝とよぶ。伝えによると、段丘の上の大木からふご(藁製の大きい容器)を縄でつり、中に入ってつるはしで岩を割り、水路を造ったという。掘削年代は不詳。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]船引町堀越

遠山沢とおやまざわ村の南、鞍掛くらかけ山・黒石くろいし山の北麓山地に立地。黒石山を源とする堀越川沿いに上堀越・下堀越集落、鞍掛山を源とする樋渡といわたし川沿いに井堀いぼり集落がある。村の中央を磐城街道が通る。中世は田村庄のうち。永禄一一年(一五六八)七月吉日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)に「三段 三百文 いほり」「一町五段 六百文 上堀越」「一町五段 八百文 下堀越」とみえ、地内三地区から紀州熊野新宮に年貢を納めていた。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]門前町堀腰ほりこし

たいら村の南、はつヶ川上流南岸の丘陵と山地に立地。中世には櫛比くしひ内保うちぼ村の内。康安元年(一三六一)一二月二五日、長谷部秀連が「ほりこしのみやのまゑ」の田地を総持寺の「ゑんせう首座」に譲り渡している(「長谷部秀連田地去状」総持寺文書)。この田は「さたう太郎入道」が作職をもつ地で、応永六年(一三九九)六月日の総持寺寺領目録(同文書)にも、この地が左藤太郎入道作の一〇〇刈としてみえる。

堀越村
ほりごしむら

[現在地名]西会津町野沢のざわ

芹沼せりぬま村の南、安座あざ川の左岸に位置し、河沼郡野沢組に属した。本村の北西山中に岩井沢いわいざわ、南西安座川上流左岸に塩喰しおばみの各端村がある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では稲川いながわ郡のうちに「堀奥」とあり、高一三八石余。寛文五年(一六六五)の野沢組土地帳(西会津町史編さん室蔵)では高一四一石余、家数一三、男五七・女四五、馬四。「新編会津風土記」によると家数は本村二四・塩喰六・岩井沢二、鎮守は稲荷神社。塩喰・岩井沢では山神社を祀る。文化一五年(一八一八)の村日記では高二二三石余。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]内海町堀越

田浦たのうら半島の中央部に位置し、西は内海湾、東は坂手さかて湾に面する漁村。天正年間(一五七三―九二)坂手村に来住した久留島一族および壺井氏の分家などが草分となったといわれ、壺井氏が年寄役を勤めた。坂手村の支村といってもよく、檀那寺も同村の観音寺である。明応九年(一五〇〇)正月の利貞名外田畠塩浜等日記(赤松家文書)に久末名畠坪在所として堀越がみえる。

堀越村
ほりごしむら

[現在地名]塙町堀越

西河内にしごうど村の北西、久慈くじ川の支流松田まつだ川上流の沿岸段丘に立地。江戸時代の領主の変遷は常世北野とこよきたの村と同じ。慶長八年(一六〇三)の南郷之内堀越村縄打帳(塙町史)に村名がみえる。正保郷帳では高二三八石余、うち田一九九石余・畑三八石余。正保四年(一六四七)の水帳(塙町史)では高二八一石余。元禄郷帳では高二二二石余、枝郷の鳥木沢とりきざわ村の高六五石余。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]北区有野町有野ありのちようありの

切畑きりはた村の西、有野川の支流堀越川の中上流部に位置する有馬ありま郡の村。もと切畑村・岡場おかば村とともに下司げし村として一括された。分村までの経緯と領主の変遷は岡場村に同じ。元禄三年(一六九〇)頃の村高は一二九石余、家数二四・人数一一九(「国絵図御取調書上写」細井家文書)

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]小倉南区堀越・志井公園しいこうえん

隠蓑かくれみの村の南、ぬき山系の北西麓の谷筋にある。正保国絵図に「志井ノ内堀越」とみえる。郷村高帳では高一七七石余、うち新田高一二石余。幕末の各村覚書では本高一六五石余、田一二町余・畠三町一反余、物成八五石余、竈数八九・人数一三二、牛一七・馬六。旧高旧領取調帳では高一六九石余。西端の小高い丘に堀越の十三塚(県指定有形民俗文化財)がある。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]春江町堀越

北は清永きよなが(現坂井町)、南はつじ村。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では上木部かみきべ庄に含まれ、村名は寛永元年(一六二四)七月一五日付の越前国府中三国領知行帳(佐久間家旧蔵文書)にみえる。正保郷帳によると田方一三八石余・畠方一二〇石。

堀越村
ほりこしむら

[現在地名]西区堀越町・上堀越かみほりこし

庄内川の東岸に位置する。東を真福寺しんぷくじ村と接する。寛文一一年(一六七一)の家数八五、人数三九八(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田三八町七反余・畑九町六反余。概高八二二石余は竹腰山城守の単独給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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