上之国館跡(読み)かみのくにたてあと

国指定史跡ガイド 「上之国館跡」の解説

かみのくにたてあと【上之国館跡】


北海道檜山郡上ノ国町にある3つの代表的な、和人の軍事拠点である館(たて)跡。指定名称は「上之国館跡 花沢館跡(はなざわだてあと) 洲崎館跡(すざきだてあと) 勝山館跡(かつやまだてあと)」。中世の上之国は、箱館、松前と並ぶ代表的な港があり、日本海北方交易の中心地として栄え、政治的にも中心地となっていた。史跡となっている3つの館は、松前氏が和人勢力の指導者として勢力を伸ばしてきた過程で重要な役割を果たした。なかでも、松前家の始祖武田信広が1457年(長禄1)ごろに築いたとされる町内勝山の勝山館は、1974年(昭和49)から本格的な発掘調査が行われ、数万点の遺物が発見され、1977年(昭和52)に国指定史跡となった。現在も継続中の発掘調査により、瀬戸美濃焼・中国製青磁などの5万点をこえる国内外産陶磁器や金属製品、木製品など約10万点が出土し、建物・井戸・空壕・橋などの跡も多数発見されている。当時アイヌの人々が使っていた約500点の骨角器も出土し、この館にアイヌと和人が混住していたという推測もある。勝山にある花沢館は「道南十二館」と呼ばれる、早くからあった館の一つで、上之国の守護の拠点だった。武田信広はこの花沢館の客将だったが、1457年(長禄1)にコシャマインが攻めてきて他の館が壊滅状態だったときに、この館を守り抜き、以降、和人社会の指導者となっていく。1945年(昭和20)頃、銭約2000枚が発見され、その後、館後方部から15世紀後半の中国製青磁、珠洲(すず)焼の擂()り鉢などが発見された。勝山館跡と同年に、国の史跡に指定された。町内北村の洲崎館は、コシャマインとの戦いで功を挙げた武田信広が上之国守護蛎崎季繁の養女である安東政季の娘を妻として1457年(長禄1)に築いた館で、この跡地からも、中国銭2500枚、中国製青磁、白磁、国産の珠洲焼擂り鉢や人骨が出土し、2006年(平成18)、洲崎館が国の史跡に追加指定のうえ、3つが統合された。勝山館跡へは、JR江差線上ノ国駅から車で約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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