室町幕府4代将軍。1394-1423年(応永1-30)在職。義満の子。母は醍醐寺三宝院坊官安芸法眼の女藤原慶子。1394年12月17日元服して征夷大将軍となったが,その後も父義満が政務を執った。しかも義満の義嗣(義持の異母弟)偏愛が始まり,家督相続が危ぶまれたが,1408年(応永15)義満が死ぬと,管領斯波義将らの支持を得てその地位を保全した。翌年7月内大臣になり,10月には北山第から,新築成った三条坊門第に移った。16年関東に上杉禅秀(氏憲)の乱が起こると,義嗣が禅秀らと通じたということでこれを捕らえ,18年1月殺した。23年3月18日将軍を辞して子義量を将軍とし,4月25日には出家したが,父義満の例に倣ってひきつづき幕政をみた。2年後の2月義量が早世した後は将軍を置かず執政。これより先1423年鎌倉公方(くぼう)足利持氏との間が不和となり出兵を計画したが,持氏が帰順して落着した。ついで27年には赤松満祐の職播磨守護をその一族赤松持貞に与えようとしたため,満祐の反抗にあったが,畠山満家らの尽力で事無きを得た。28年1月18日没。法号勝定院顕山道詮。義持は謙退の気強く,父義満に対する太上法皇の尊号贈与を辞退し,自分も左大臣昇進を辞した。他方,老臣に対しては,義満が厚礼であったのに,義持は尊大にふるまったという。義満のとき開始された対明外交を屈辱的という理由で廃止。神・禅宗への信仰厚く,ことに氏神八幡神を固く信じ,石清水放生会(ほうじようえ)には自身参向,また義量の死後神意を仰いで嗣子の生誕を確信していた。また禅宗の面では,1399年絶海中津より受衣(じゆえ)して道詮と称し,そののち空谷明応より顕山の尊号を受けた。相国寺鹿苑院内に蔭涼軒をはじめた。死に臨んでも禅の工夫を怠らなかった。
執筆者:百瀬 今朝雄
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(今谷明)
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室町幕府第4代将軍。義満(よしみつ)の側室藤原慶子を母に至徳(しとく)3年2月12日生まれる。1394年(応永1)9歳で元服し、正五位下左中将に叙任されて将軍宣下を受ける。参議、従三位権中納言(じゅさんみごんちゅうなごん)へと累進したが、政務の実権は父義満に握られ職名のみの将軍であった。義満が北山第(きたやまてい)を落成して移住したのちも室町第に住し、しかも晩年の義満が義嗣(よしつぐ)(義持の異母弟)を偏愛したため、義嗣との間に対立感情が生じた。義満死後、斯波義将(しばよしまさ)ら幕閣の支持で改めて地位を確保し、ひそかに関東や南朝方に通じ謀反のおそれのあった義嗣を捕らえて殺害させる一方、三条坊門に新第を築き幕政を固め、幕府の最盛期を迎えた。義満の太上天皇号辞退や日明(にちみん)外交貿易の中止、天竜寺を五山第一位とし五山官寺の綱紀を糺(ただ)すなど、斯波義将、細川満元(みつもと)、畠山満家(はたけやまみついえ)の歴代管領(かんれい)の献策、補佐で義満時代の弊風是正に努めた。1423年(応永30)嫡子義量(よしかず)に将軍職を譲って出家したが、義量早世のためふたたび法体のまま政務をみた。晩年赤松満祐(あかまつみつすけ)の播磨(はりま)守護職を取り上げ溺愛(できあい)する赤松持貞(もちさだ)に譲らせようと画策して満祐の怒りを買う事件などあったが、応永(おうえい)35年正月18日43歳で死去した。法号は勝定院殿顕山道詮禅定門。京都北山の等持院に葬られた。
[太田順三]
『臼井信義著『足利義満』(1960・吉川弘文館)』
1386.2.12~1428.1.18
室町幕府4代将軍(1394.12.17~1423.3.18)。3代義満の子。母は三宝院坊官安芸法眼の女藤原慶子。法名勝定院顕山道詮。従一位内大臣・贈太政大臣。将軍就任後も,父義満は依然実権を掌握し,義持の異母弟義嗣(よしつぐ)を偏愛した。父の死後,斯波義将(しばよしゆき)の補佐で家督の地位を再確立するため,義将ほか管領を重用し,義満への太上法皇号宣下(せんげ)の辞退や対明通交の停止などを行った。また,北畠満雅の挙兵や上杉禅秀の乱を鎮定し,義嗣を殺害。のち富樫満成(みつなり)や赤松持貞ら近習が,将軍専制をめざして守護大名勢力と対立するが,いずれも大名側の反撃にあって失脚。嫡子義量(よしかず)に将軍職を譲り出家するが,義量はまもなく早世。その後,後嗣未決定のまま没する。
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