日本歴史地名大系 「三ッ又村」の解説 三ッ又村みつまたむら 高知県:高岡郡大野見村三ッ又村[現在地名]大野見村三ッ又大野見村の西にあり、三又村・三股村・三俣村とも書く。四万十(しまんと)川の蛇行地で、曲流部にある中島(なかじま)を挟んで、川が分流して三叉になっていたため村名となったという。近世の郷帳類は日野地(ひのじ)村(現窪川町)・槙野々(まきのの)村を含めて三ッ又村とするが、狭義には三ッ又本村のみをさす。竹原(たけはら)川上流の川奥(かわおく)・高山(たかやま)は飛地。天正一六年(一五八八)の津野大野見村地検帳には「是ヨリ三俣」として地積四町六反余が記され、津野氏領で在地の給人は古屋大膳亮であった。 三ッ又村みつまたむら 高知県:中村市三ッ又村[現在地名]中村市三ッ又常六(じようろく)村の東にある。後(うしろ)川の最上流、仏が森(ほとけがもり)北麓の村で、北には鳥打場(とりうちば)(五〇九メートル)がそびえる。「土佐州郡志」は「自是以下至竹屋敷鋪之十村通曰山中也、乃隷上山郷之上分、此村戸凡十四」と記す。慶長二年(一五九七)の上山郷地検帳に「三俣村」とみえ、検地面積四町八反余、屋敷数一一うち居屋敷八。屋敷のうちには三清庵が含まれる。江戸時代は元禄郷帳によると本田高三二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報