三ッ蔵跡(読み)みつくらあと

日本歴史地名大系 「三ッ蔵跡」の解説

三ッ蔵跡
みつくらあと

[現在地名]中区栄一丁目

ほり川東岸に藩の蔵米を納める蔵屋敷が建並んでいた。これを三ッ蔵といい、広井ひろい官倉・御蔵・やなぎの御蔵とも記されている。この名の由来は、福島正則清須きよす在城の時(一五九五―一六〇〇)小田原の戦で兵糧米が欠乏した経験にかんがみて、「三間に長三十間の蔵三ツ」を城内に建てたことによる。清須越しで名古屋に城下町を移した際、広井村(現中村区・西区)辺りに蔵を建てた(尾張志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む