日本歴史地名大系 「三ノ宮村」の解説 三ノ宮村さんのみやむら 神奈川県:伊勢原市三ノ宮村[現在地名]伊勢原市三ノ宮高取(たかとり)山の西方の丘陵地にあり、鈴(すず)川が村の東方を北から南へ流れる。北は上糟屋(かみかすや)村・上子安(かみこやす)村・下子安(しもこやす)村、東は白根(しらね)村、南は神戸(ごうど)村、西は栗原(くりはら)村に接する。栗原村は当村より分れた村で、両村の境は錯雑する。大山道・荻野(おぎの)道が通る。伯母様(おばさま)堰から水を引く初川(はつかわ)用水が、東南の神戸村・白根村を隔てた飛地狐橋(きつねばし)の中ほどを流れる。「風土記稿」は村名は三宮(さんのみや)明神(現比々多神社)から起こったとする。「吾妻鏡」建久三年(一一九二)八月九日条によれば北条政子の実朝出産の際、源頼朝が安産祈願のため神馬を奉納した当国の神社のなかに「三宮冠大明神」がみえる。 三ノ宮村さんのみやむら 長野県:松本市島立地区三ノ宮村[現在地名]松本市島立 三ノ宮奈良井(ならい)川の西側に沿い、梓(あずさ)川水系による古代からの用水堰(西から東へ流れる)の流末にある村。村名は「延喜式」記載の沙田(いさごだ)神社の通称名三ノ宮に由来。中世は島立郷に属した。寛永一九年(一六四二)の信州松本御領分村々高附帳に初めて三ノ宮村として独立し、一八四石四斗七升八合と高付けされている。正徳三年(一七一三)から享保一〇年(一七二五)までは松本藩水野家の分知、水野壱岐守一万石の所領野溝(のみぞ)組に編入されたが、のち島立組に復し明治を迎えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by