白根村(読み)しらねむら

日本歴史地名大系 「白根村」の解説

白根村
しらねむら

[現在地名]梁川町白根

山舟生やまふにゆう村の南、松坂まつざか峠を越えると伊具いぐ筆甫ひつぽ(現宮城県丸森町)に至る。山地が八割を占め、塩野しおの川が北流(のち西流)し、集落は散在する。天文七年(一五三八)の段銭古帳では伊達東根だてひがしねのうちとして「志ら袮」とみえ、段銭は二五貫四三〇文。同二二年の晴宗公采地下賜録では、せきわみ源五郎が白根のうち「すかふ内在け」を与えられ、安積金七郎は当地のうち後藤五郎内・まいたくら・しらさハの三軒から炭二〇俵を出すこととなっている。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高一千五六石。


白根村
しらねむら

[現在地名]伊勢原市白根・鈴川すずかわ

東は板戸いたど村、西はさんみや村・神戸ごうど村に接する。村の中央を矢倉沢やぐらさわ往還、北西境を八王子道が通る。暦応二年(一三三九)六月二三日の沙弥某奉書案(県史三)にみえる鎌倉浄光明じようこうみよう寺領「相模国白根郷」の一部。長禄三年(一四五九)一〇月二五日の実相院門跡領目録(同書)によれば、「相模国白根四ケ村」などが「養徳院・妙雲院」から門跡興隆のために寄進された所領として記される。永正一六年(一五一九)四月二八日の宗瑞(伊勢長氏)箱根領注文(同書)に、菊寿丸知行分として「五くわん文但いのとしの納分しらね小やす」とみえ、小田原衆所領役帳には遠山左衛門「三百四拾壱貫文 中郡白根之内」、小幡源次郎「百四貫文 白根山田名」、幻庵「卅貫文 中郡白根内箱根分」とある。


白根村
しろねむら

[現在地名]白根市白根・白根しろね内七軒うちしちけん助次右衛門組すけじうえもんぐみ

なかくち川右岸の自然堤防上に立地する在郷町。白根郷の南北のほぼ中央に位置する。天正二年(一五七四)信濃国から村上義清に従って来越した袖山重勝の開発という(中蒲原郡誌)。対岸の白根村(現西蒲原郡味方村)に対し東白根ひがししろねと称され、同一〇年から慶長二年(一五九二)直江兼続が信濃川の自然流を固定させた直江工事の際に東西に分断されたという。慶長三年以降近世を通じ新発田藩領。同年頃の御領内高付帳(新発田市史資料)に「百三拾八石五斗七升 東白根村」、同一七年の御蔵納同払方帳(同書)に「弐拾八石 白根村」とある。


白根村
しらねむら

[現在地名]旭区白根町・上白根かみしらね

東は上菅田かみすげた(現保土ヶ谷区)、南は今宿いまじゆく村、西は川井かわい村、北は寺山てらやま(現緑区)に接する。上菅田村から今宿村に通ずる中原なかはら道が通る。近世後期には上白根村・下白根村に分村する。

天正一九年(一五九一)旗本藤川領。田園簿では野米として米四俵と萱野役として塩四七俵を納めている。元文五年(一七四〇)の村明細帳(斎藤文書)によると、元禄八年(一六九五)に安藤対馬守による持添新田検地を受け畑四町二反余、高一〇石余を検出。


白根村
しろねむら

[現在地名]味方村白根

なかくち川左岸の自然堤防上の村落。北は味方村に接し、南は下曲通しもまがりどおり(現月潟村)に隣接する。対岸も白根村(現白根市)で、天正一〇年(一五八二)から慶長二年(一五九七)に直江兼続が行った信濃川の自然流を固定させた直江工事の際に村が分断され、左岸の当村(西白根)、右岸の白根村(東白根)となったと伝える。元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)に村名がみえ高二四六石七斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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