三井八郎次郎(読み)ミツイ ハチロウジロウ

20世紀日本人名事典 「三井八郎次郎」の解説

三井 八郎次郎
ミツイ ハチロウジロウ

明治・大正期の実業家,男爵 三井南家第8代当主;三井物産社長。



生年
嘉永2年4月7日(1849年)

没年
大正8(1919)年9月30日

出生地
京都府

本名
三井 高弘

別名
号=三井 松籟(ミツイ ショウライ)

経歴
三井総領家(北家)第8代当主・高福の四男。生まれてすぐの嘉永2年5月南家第7代当主・高愛の養子となり、6年家督を継ぐ。明治5年八郎次郎を襲名。12年第一国立銀行取締役となり、27年三井鉱山理事、34年三井物産社長を歴任、三井財閥形成の過程で腕を振るった。大正3年シーメンス事件で辞任。この間、明治44年には多年勲功により男爵を授けられた。また美術、工芸の愛好家としても知られ、帝室博物館鑑査委員などを務めた。表千家流の茶人としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「三井八郎次郎」の解説

三井八郎次郎

没年:大正8.9.30(1919)
生年:嘉永2.4.7(1849.4.29)
明治大正期,三井惣領家8代高福の4男。母は津尾。本名を高弘。嘉永2(1849)年5月には三井南家7代高愛の養子となり,同6年に三井南家の家督を相続。明治5(1872)年に八郎次郎を襲名した。同12年には第一国立銀行の取締役となり,没するまで勤めた。また明治34年には三井物産会社の社長となり,大正3(1914)年のシーメンス事件後に引責辞任している。三井家の規則改正に当たり,三井合名会社ができるとその業務執行社員となっているが,明治31年には帝国博物館鑑査委員を勤めるなど美術愛好家でもあった。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』本編2巻

(賀川隆行)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三井八郎次郎」の解説

三井八郎次郎 みつい-はちろうじろう

1849-1919 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)2年4月7日生まれ。三井高福(たかよし)の4男。三井南家8代。明治34年三井物産社長となり総合商社化をすすめた。大正3年シーメンス事件で辞任。美術愛好家で帝国博物館鑑査委員をつとめた。表千家流の茶人。大正8年9月30日死去。71歳。京都出身。名は高弘。号は松籟。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「三井八郎次郎」の解説

三井 八郎次郎 (みつい はちろうじろう)

生年月日:1849年4月7日
明治時代;大正時代の実業家。三井物産社長
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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