工芸の概念は,これまでしばしば変化してきた。その変化は他律的であった。〈工芸〉において何が本質的なのかということが,その時々の工芸を外側から取り囲む条件によって,そのつど決定されてきたからである。今日一般的に工芸品と考えられている器物の一つ一つに対する概念は,変化していないにもかかわらず,各種器物をひとくくりにして形成される工芸の概念だけが変わってきたのである。たとえば,コップの機能性や形態は本質的にはいつの時代でも変わらない。しかし,そのコップがひとたび〈工芸〉とみなされるとき,もともと工芸と混然一体となっていた〈美術〉が自己の完結的世界を築いて工芸から分離したため,それは〈小芸術〉と呼ばれたり,また機械工業が発達しコップの製造にも機械が利用されると,それは〈産業工芸〉と呼ばれたりしたのである。このように工芸は,いく通りにも定義されてきたために,今日その概念はあいまいになっている。
〈工芸〉はもともと中国の言葉で,その文献上の初出は,現在知られているところでは,《旧唐書(くとうじよ)》閻立徳伝(えんりつとくでん)である。宋代の百科事典,《太平御覧(たいへいぎよらん)》の工芸の部によると,それは射(弓を射ること),御(馬を御すこと),書,数(算数),画,巧,そして囲碁などの勝負を争う各種遊戯,これらにかかわる広い範囲での技能のことであった。ただし,このうち抽象的な言語である巧は,今日いうところの工芸技術をも含む,工作に関する技能を意味していた。《周礼(しゆらい)》によれば,巧とは,知者が創造した物(器物)をたくみに述べ,守る技能であった。そして,そういう工作にかかわる技能のことを一般的に工(技術)といい,具体的には,金属で刃をつくり,土で器をつくり,車をつくって陸を行き,舟をつくって水上を行くことであった。つまり,巧とは工作一般にかかわる〈たくみな〉技術のことであった。巧の意味はこれ以上特定されていない。そのため,刃や陶器のような今日工芸と考えられているものだけにとどまらず,車や舟までも巧によってつくられるものの対象とされているのである。古代中国においてそれらが同列にみなされていたことは,同じく《太平御覧》で工芸部の次に,器物部,雑物部,舟部が続いていることからも推測される。
ところで,こうした巧の意味は,英語におけるアートartやクラフトcraftのもともとの意味とよく似ている。両方とも,もとは〈熟練した技術〉という意味があり,craftの派生的語意に船や飛行機というものがあるのも,偶然かもしれないが,craftが巧と同じく工作一般にかかわる言葉であることからすれば,論理的には納得できる。もっとも,巧の場合その意味は,artのように〈何々アート〉とそれ以上特定されることはなく,清朝のころまでほぼ同じであった。したがって,中国においては,今日でいう工芸品を,その他の工作物から区別する言葉は生まれなかった。とはいえ,古くから技術と工作物との関係を合理的にとらえていたことがわかる。ちなみに,日本の百科事典である江戸時代の《和漢三才図会》や,明治時代の《古事類苑》にも,《太平御覧》と同じく各種器物に続けて車や船の項目が収録されているが,工芸や巧の項目は欠落している。
古代中国において〈工芸〉という言葉のもとに書,画,巧などが包括されていたように,西洋においても古い時代には,アートart(熟練した技術)の所産という概念のもとでは,美術と工芸は密接不離の関係をもつとみなされていた。そこから工芸の概念が分離した過程には,次の二つの面がある。一つは,19世紀中葉から芸術至上主義的な考え方のもとに,〈美術〉が〈純粋な芸術的表現をもつもの〉という限定された概念をもつようになったため,結果的に工芸の方が取り残されたことによる。英語で美術のことを,ファイン・アートfine art,ピュア・アートpure art(純粋芸術)というのに対して,工芸のことをマイナー・アートminor artまたはレッサー・アートlesser art(小芸術),ユースフル・アートuseful art(有用芸術),アプライド・アートapplied art(応用芸術),デコラティブ・アートdecorative art(装飾芸術)といい,ドイツ語でも美術をシェーネ・クンストschöne Kunst(美術),フライエ・クンストfreie Kunst(自由芸術)というのに対して,ゲブラウフスクンストGebrauchskunst(実用芸術),ウンフライエ・クンストunfreie Kunst(羈絆(きはん)芸術)と,工芸をやや劣等的な意味をこめた言い方(定義)をするのは,このことを示している。
もう一つは,工芸に内在する工業的要素が積極的に支持されたことによる。18世紀後半,手工業は新興市民階級にとって,彼らを守り,利益をもたらすものであった。そこから,手工業製品にかかわる実用的技術は,精神の作品である美術にかかわる技術より必ずしも劣るものではない,という思想が生まれてきたのである。この事情は,たとえば,同じころに編纂されたフランス啓蒙思想の集大成である《百科全書》(1751-80)がよく示している。その正式名称《百科全書,または学問,芸術,手工業métiersの合理的事典》が示すように,技術の項目は大きく扱われ,社会的進歩にとって手工業的技術は,美術にかかわる技術よりも有益であることが繰り返し説かれている。手工業といっても当時の製品の多くは,今日からみれば工芸品のことであった。そこでこれ以後社会の工業化に導かれて,工芸を工業的産物として美術と区別する考え方が,工芸の概念を決定する重要な要素となっていった。工芸のことをフランス語でアール・テクニクart technique(科学技術的芸術),ドイツ語でクンストゲウェルベKunstgewerbe(工業的芸術)というのは,この考え方に基づくものである。
ところで,工芸を工業的産物とみなすといっても,手や簡単な機械によってつくられていたうちは,それは観念上のことでしかなく,美術との間に実質的な違いはなかった。しかし産業革命後の本格的な機械の登場は,工芸を昔ながらのハンディクラフトhandicraft(手工芸)とインダストリアル・アートindustrial art(産業芸術)とに分化させた。機械生産固有の性質に適合するデザインが新たに生み出されたのである。もっとも,実際には長い間,機械製品には過去の様式が押しつけられてきた。美術の文様や様式を機械製品のデザインに応用したアプライド・アートの考え方なども,この間の混乱を物語る。広い視野のなかでいえば,W.モリスのアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントから,バウハウスの工芸教育,そしてH.リードの工業製品に関する著作まで,建築の分野とも関連しながら進められてきた近代ヨーロッパの工芸・デザイン運動は,〈機械生産のための新しい美的規準を考え出すこと〉(H.リード)がその目的であったといえよう。
〈工芸〉が漢語としてではなく,日本語として使われるようになったのは,明治になってからである。その早い例は1870年(明治3)の工部省関係の記録にみられ,その意味は西洋の古い時代と同様,まだ美術や工業と未分化で,人工的工作物すべてのことを意味していた。美術という言葉は新造語で,明治初年より使われていたが,実際にはその概念はあいまいで,たとえば第1回内国勧業博覧会(1877)には,陶磁器や漆器がその製造技術の精粗によって,〈製品〉の区と〈美術〉の区とに分けて出品されていた。これらは西洋の概念を移植したときにみられる初期的混乱であった。しかしその後も,工芸の概念の決定には,中国や西洋のように〈巧〉や〈art〉を根源にして,それを組み立てていく観念が欠落していたため,日本固有の面がみられる。その一つは,工芸を工業的産物とみなす考え方が定着しなかったことである。殖産興業政策,外国貿易振興の立場から,明治初期に工芸品は,世界の資本主義市場に通用する(手)工業製品と位置づけられた。明治前期の工芸品にみられる一種の明快さは,このことによると考えることができる。しかし,こうした合理性は,器物相互の外面的差異に即して決められていた旧来の慣習的分類(金工,漆工,陶磁,染織など)を克服しえず,また軽工業の発展によって工芸品から輸出商品の性格がしだいに薄れると,工業製品としての性格も薄れ,工芸の範囲は,実用性に加えて鑑賞性(あるいは愛玩性)をも合わせもつ,巧緻な手技の仕事に限定されていった。これはおおよそ明治20年代のことで,このあと機械製品は,東京高等工業学校工業図案科の発足(1901),農商務省図案及応用作品展覧会の開設(1913),商工省工芸指導所の設置(1927。52年産業工芸試験所と改称),通産省による〈グッドデザイン商品〉の選定(1957以降)などによって振興され今日にいたる。しかし,本来製造技術の違いでしかない手工芸と産業工芸とを,感覚的に工芸品と工業製品とに区別したことから生じる不分明さは今日にまで尾をひき,そのため,機械で量産されるすぐれたデザインのコーヒーカップをどちらに分類すべきか決められないでいる。
このほか,工芸に対して美術と同じ価値原理を求める運動がおこったことも,日本にしかみられない現象である。大正末ごろから,工芸品においても作者の個性的表現を重視すべきだとする主張がおこり,彼らの作品は〈工芸美術〉と呼ばれ,おもに帝展で発表された。伝統的な工芸品のかたちをモティーフとしてとりいれたにすぎないそれらが,比較的容易に工芸として認知されたことの前提には,工芸を外面的特徴によって識別しようとする社会的通念があったからである。こうした,〈もの〉に即して工芸を定義しようとする姿勢は,その様式によって特定されている〈民芸〉〈伝統工芸〉という名称にもみることができる。また,戦後に始まる日本の〈クラフト運動〉は,制作の原理を,より多くの人にすぐれた日用品を提供するという民主主義の理念に置いたことで,日本における工芸の概念を本格的に変革しうる可能性をもつが,その原理は様式の統一化にすり替えられる危険性をつねにはらんでいる。
工芸家が,作家(芸術家)としての意識に目ざめたことは,今日の工芸の表現に,ひいてはその概念に変化をもたらし始めているといえるだろう。しかし,ここで問題になるのは,工芸にとって実生活上の〈用(装飾的効用も含む)〉が不可欠の要素であるという点である。作者固有の表現はこの役割を阻害するものであってはならず,作品それ自体を表現の目的とする作者の理念は,工芸においては表現されえないのである。独自の表現をのぞみ,そこから固有の感性が意識的に表出されるようになったが,それは,〈用〉を拒否しないという点で理念的表現というより,皮膚感覚の表現といっていいだろう。
このような新しい表現は,すでに実際の工芸品においてみることができる。たとえば,モダン・クラフトmodern craftと総称されるイタリアや北欧のデザイナーによって始められたデザイン運動は,20世紀初頭のゼツェッシオンの運動から,1907年結成のドイツ工作連盟,19年開校のバウハウス,そして22年以来の《エスプリ・ヌーボー》誌などが確立した機能主義のデザインがもつ,大量生産を目的とする効率的・規格的側面に反発したもので,この点に個人としての〈私〉の主張をみることができる。そのため彼らのデザインには,デザイナー各自の感性によって解釈された人間的感触が表現されることになった。また,機械も必ずしも量産のためではなく,機械でなければ生み出しえない形態を表すために利用されている。日本では前述の〈クラフト運動〉が,こういうデザインの傾向を取り入れている。
モダン・クラフトが実用的〈用〉を重視しているのに対し,装飾的〈用〉に従いつつ感性の表現を試みているものに,第2次大戦後の日展や現代工芸展でみられる,外見的には抽象彫刻と見分けのつけにくい一群の工芸がある。これは前述の,大正末に始まる工芸の美術化運動の系譜をひくもので,そこから伝統的様式にとらわれない自由な造形が生まれてきたが,反面,そのとき以来の混乱は尾をひき,現在でも作者の意識のなかでは〈用〉は軽んじられている。このように作品における感性の表現自体は,しだいに純化される方向を示しており,こうした表現はもはや工芸にとって不可避といえよう。そしてそのことが工芸の概念に変化を求めていることも確かである。
執筆者:樋田 豊次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間の日常生活において使用される道具類のうち、その材料・技巧・意匠によって美的効果を備えた物品、およびその製作の総称。もともと生活用具としての実用性を備えたもので、その点、彫刻や絵画と異なり、建築とともに応用芸術の一つとみなされる。工芸は材料によって多くの種類に分けられ、陶磁、金工、漆工(しっこう)、木工、竹工、ガラス、染織などの諸部門に分類される。
工芸の工の字は象形文字で、握りのついた「のみ」、あるいは鍛冶(かじ)をするとき使用する台座を表したものといわれ、そこから手先や道具を使って物をつくることを意味し、さらに物をつくるのが上手であることをいうようになった。さらにそのような職人や細工をさすこととなり、技能、修練を積んで得た特殊な技を意味する芸の字とともに、巧みに物をつくること、巧みにつくられた物を工芸とよぶようになった。
この工芸の概念が実際に確立されるのは19世紀中葉以降のことで、主として個人作家による手工芸(ハンドクラフト)が工芸品として扱われてきた。しかし、機械の発達とともに、工芸品も一品製作から量産へと移行し、一定の規格のもとに生産される工芸へと大きな変貌(へんぼう)を遂げた。だが一方では、今日なお手工芸は尊重され、伝統工芸の名のもとに機械工芸と区別して扱われている。また古くから絵画・彫刻と密接に連関しており、とくに装飾意匠の面でこの二つは重要な役割を果たしてきている。
[永井信一]
工芸は美と用を兼ね備えたものといわれるが、美の規準は人によってさまざまで、時代や社会あるいは民族性によって変わってくる。しかしつねに生活用具として使いやすく、見た目に美的快感を与えるということは工芸に一貫して与えられた特性で、手工芸であれ、機械工芸であれ、つくる側からいえばこのバランスを無視することはできない。
産業革命以後、それまでいわゆる手作りであったものが、機械の発達によって短時間で同一製品を多量につくりだされるようになった結果、生活用具の生産方法が切り換えられた。そしてそれに即した美の問題が重要視され、インダストリアル・デザインとか、インダストリアル・アートの名のもとに新しい工芸運動がおこり、近代の工芸に新しい分野を開拓した。工芸は熟練した手の技術を中心に知性と心とが結合したものであり、インダストリアル・デザインは知性を中心に心と技術とが結合したものといわれる。
[永井信一]
工芸の機械生産化への動きに対して、昔のままの手製の工芸製作こそ工芸の本当のあり方だとする考え方が現代社会の一部で強く唱えられており、その代表的なものが民芸と伝統工芸である。民芸とは民衆工芸とか民俗的工芸を意味することが多いが、民衆の生活と深く結び付いて発達してきたものを、現代社会のなかに生かし、人間の血の通った工芸をつくりだそうとするものであり、これを主張するいわゆる民芸運動は、日本のみならず東洋や欧米諸国でも盛んである。日本では機械生産化が進展する反面、民芸愛好熱が近年しだいに増加している。そして過去の貴族階級の愛玩(あいがん)の道具であった美術工芸を排し、庶民が日常的に使用したものこそ健全な真の工芸であるとする考えが、民芸運動の根底にある。しかし、昔の生産手段でつくったものが現代の大衆生活の経済性に適合するものかどうか問題があり、民芸の作家の作品であっても、床の間の芸術として庶民の手の届かないものになりかねない一面もある。
また伝統工芸は、過去の貴族社会の需要のために発達した伝統的な技術を現代に生かそうとするものである。しかしこれとても、需要の激減、現代生活の変革、工芸生産の機械化・合理化などにより、伝統を引き継ぎ、熟練した技術を身につけた者がきわめて限られた存在となり、技術そのものも退化する傾向にある現在、高度の工芸技術は実用から離れ、鑑賞を目的とする美術工芸へと向かっている。
[永井信一]
機械化が発達し、人間生活が機械に支配されがちな現代社会では、絵画・彫刻と同様に、工芸もまた人間味を取り戻し、潤いある生活を営む役目を果たしている。機械で量産されたものが画一性、機能性、合理性を備えているのに対し、手仕事によりつくられたものは、その技術が幼稚であっても、自由で個性的で人間的な温かみがあるといえる。また技術が優れていれば、見る者の心を打ち、感動を与える。たとえ古いものでも、時代を超えて、現代のわれわれの生活のなかに溶け込める。工芸とはそのようなものである。
手作業を離れて機械生産を考案し、人間は労働から解放されたが、いままた物をつくる楽しみを労働のなかにみいだし、手製品の美と魅力を機械生産のなかに生かそうとする動きが近年盛んになってきている。今日、日本でみられる「クラフト」の語はそうした中間的な工芸分野をさしている。
[永井信一]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈美術〉という語は東洋古来のものではなく,西洋でいうボーザールbeaux‐arts(フランス語),ファイン・アーツfine arts(英語),ベレ・アルティbelle arti(イタリア語),シェーネ・キュンステschöne Künste(ドイツ語)などの直訳であり,日本では明治初期以降用いられた。美の表現を目的とする芸術を意味し,したがって絵画,彫刻,建築,工芸などのほか,詩歌,音楽,演劇,舞踊などをも含むものとされた。明治時代には文学も美術に加えられていた(坪内逍遥《小説総論》など)。…
…もっとも西洋にはフォーク・アートfolk‐artとか,ポピュラー・アートpopular‐artとかいう言葉は用いられているが,近ごろはピープルズ・アートpeople’s artという言い方も現れ始めた。アートは〈美術〉にも用いられるが,民芸という場合は,美術品ではなく民衆的工芸をさすので,西洋の用語と多少違う。 工芸というのは実用的な生活的なもので,他の美術のように鑑賞を目的としたものではない。…
※「工芸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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