日本歴史地名大系 「三体堂村」の解説 三体堂村さんたいどうむら 鹿児島県:姶良郡牧園町三体堂村[現在地名]牧園町三体堂宿窪田(しゆくくぼた)村の北に位置し、村内を石坂(いしざか)川が南西流する。三躰堂村とも記され、中世には三台堂・三代堂の表記もみえる。応保二年(一一六二)四月二日の僧真寂田畠譲状(台明寺文書)に、桑東(くわのとう)郷の田畠の四至として「三躰堂峯」「三躰堂田大縄」「三躰堂田」「三躰堂薗垣根」がみえる。このうち桑東郷「葦上村字古川薗」の四至は「東限主丸田」「西限三躰堂田」「南限主丸田」「北限三躰堂峯」となっており、主丸(ぬしまる)の地名は三躰堂の南東にあたる現在の上中津川(かみなかつがわ)地内に比定される。なお大隅国建久図田帳には、桑東郷のうちの国領として主丸五町がみえ、領主は紀大夫良房とされている。三躰堂は正八幡宮(現鹿児島神宮)領であったことから、豊前宇佐弥勒寺(山城石清水八幡宮寺の検校が弥勒寺検校でもある)の支配を受けた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by