日本歴史地名大系 「牧園町」の解説 牧園町まきぞのちよう 鹿児島県:姶良郡牧園町面積:一二九・六五平方キロ姶良郡の北東部に位置し、北は宮崎県えびの市、栗野(くりの)町、西は横川(よこがわ)町、南は隼人(はやと)町、東は霧島町に接する。県境には霧島山の山並が連なり、町域北東端に韓国(からくに)岳(一七〇〇・三メートル)がそびえる。町域西端を天降(あもり)川が蛇行しながら南流する。三体(さんたい)川を合流した石坂(いしざか)川は塩浸(しおひたし)温泉付近で、韓国岳南西の大浪(おおなみ)池(火口湖)南西麓を源流とする中津(なかつ)川は妙見(みようけん)温泉付近でともに天降川に合流する。中津川下流の犬飼(いぬかい)滝は高さ三六メートル・幅一八メートル、最上流の丸尾(まるお)滝は国道二二三号沿いにある。地質的には輝石安山岩が大半を占め、姶良カルデラ形成時の噴出物であるシラスも広く分布し、浸食による急峻な峡谷が多い。当町の幹線道路は隼人町と宮崎県を結ぶ国道二二三号で、丸尾温泉付近で分岐した道は霧島スカイラインへ続く。遺跡は天降川水系の万膳(まんぜん)川・三体川・中津川などに沿って立地している。旧石器時代は宮園原(みやぞのばる)遺跡で黒曜石製の三稜尖頭器が表採されている。縄文時代は界子仏(がいしぼとけ)遺跡で早期の土器や局部磨製石斧などが、中福良(なかふくら)遺跡では春日式・阿高式・黒川式や刻み目突帯文の土器など中期から晩期までの遺物が、中園(なかぞの)遺跡では指宿式土器・刻み目突帯文土器など後期から晩期にかけての土器が出土。九日田(くにちでん)遺跡では中期末から後期初頭の住居跡が検出された。内之野(うちのの)遺跡では早期・前期・後期の遺物として石鏃、押型文土器・轟式土器・指宿式土器・御領式土器などが、一本松(いつぽんまつ)遺跡では前期の土器が、中野(なかの)遺跡では前期・中期・後期の土器が採集されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by