朝日日本歴史人物事典 「三善康俊」の解説
三善康俊
生年:仁安2(1167)
鎌倉前期に幕府問注所執事や評定衆を務めた実務家。康信の子。町野を名乗り,子孫も町野氏を称したが,これは父康信が近江国日野庄町野(現在地不詳)に住したからであるという。康俊も近江国で生まれ育ち,承久2(1220)年,鎌倉に赴いたらしい。翌年,父の死の跡を襲って問注所執事となり,嘉禄1(1225)年には評定衆設置に際してそのメンバーに加えられ,また,御成敗式目起請文にも名を連ねている。暦仁1(1238)年6月,病のため問注所執事職を辞して子の康持に譲り出家,ほどなく京都で没した。<参考文献>竜粛『鎌倉時代』上
(新田一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報