三善康俊(読み)みよし・やすとし

朝日日本歴史人物事典 「三善康俊」の解説

三善康俊

没年暦仁1.6.14(1238.7.26)
生年仁安2(1167)
鎌倉前期に幕府問注所執事や評定衆を務めた実務家。康信の子。町野を名乗り,子孫町野氏を称したが,これは父康信が近江国日野庄町野(現在地不詳)に住したからであるという。康俊も近江国で生まれ育ち,承久2(1220)年,鎌倉に赴いたらしい。翌年,父の死の跡を襲って問注所執事となり,嘉禄1(1225)年には評定衆設置に際してそのメンバーに加えられ,また,御成敗式目起請文にも名を連ねている。暦仁1(1238)年6月,病のため問注所執事職を辞して子の康持に譲り出家,ほどなく京都で没した。<参考文献>竜粛鎌倉時代』上

(新田一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三善康俊」の解説

三善康俊 みよし-やすとし

1167-1238 鎌倉時代の幕府官僚。
仁安(にんあん)2年生まれ。三善康信の子。承久(じょうきゅう)3年(1221)父のあとをついで2代問注所執事となり,嘉禄(かろく)元年(1225)新設の評定衆に任じられた。父が近江(おうみ)(滋賀県)日野荘町野に居住していたことから,町野氏を称した。嘉禎(かてい)4年6月14日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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