朝日日本歴史人物事典 「三善庸礼」の解説
三善庸礼
生年:安永8(1779)
江戸後期の柳河藩(福岡県)の儒者。町野を姓とし通称与左衛門,字は可名生。天保初年のころ,江戸留守居役を務める。藩校伝習館を興した国学者牧園茅山の日記に,庸礼が最上徳内に孝経の講義をしたとある。嘉永3(1850)年吉田松陰が来藩の際は,その旅宿を訪れ談じている。その著『御国家損益本論』と『国家勘定録』は柳河藩をひとつの国家と考え,その経済,財政をいかにするかと考える。すなわち,領主の家の経済ではなく藩の経済を念頭に国益思想を展開する。安政年間(1854~60)ごろ没したと思われる。<参考文献>宮本又次編『国家勘定録』(『清文堂史料叢書』2巻),同『御国家損益本論』(『清文堂史料叢書』7巻),藤田貞一郎『近世経済思想の研究』
(藤田貞一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報