三城城跡(読み)さんじようじようあと

日本歴史地名大系 「三城城跡」の解説

三城城跡
さんじようじようあと

[現在地名]大村市三城町

標高三七・二メートルの地に築かれた中世以来の城跡。三城と通称される。大村氏の本貫地とされる肥前藤津ふじつ郡内の「三城村」(現在地未詳)(慶長二年「御参宮人帳」橋村家文書)、城名に用いたとも想定される。永禄元年(一五五八)から同七年にかけて大村純忠が築城したとされ(大村家記)富松とみまつ大権現に隣接していた。拡大する領国経営の点からも、また抗争する諸勢力との対応からしても、それまでの今富いまとみ城・好武よしたけ城では不十分として普請を行ったという。元亀三年(一五七二)純忠は親類中が逆心して伊佐早方(西郷純尭)に通じ、七月三〇日には肥前武雄の後藤貴明、島原の有馬鎮純、平戸松浦隆信援軍を得た西郷氏により居城の当城を攻撃された。平戸勢は久出津くいでつに陣を構え、有馬勢と後藤氏の軍勢柴多しばた口に陣所を置いたとも(大村記)、後藤氏の軍勢は当城の北の宝田たからだに、平戸勢は近くの田中屋敷にそれぞれ陣を構えたとも伝える(大村家覚書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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