20世紀日本人名事典 「三塚博」の解説
三塚 博
ミツヅカ ヒロシ
- 生年
- 昭和2(1927)年8月1日
- 没年
- 平成16(2004)年4月25日
- 出生地
- 宮城県遠田郡小牛田町
- 学歴〔年〕
- 日本大学獣医学部卒,早稲田大学法学部〔昭和26年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 全日本文具協会ベスト・オフィス・ユーザー賞〔平成3年〕,旭日大綬章〔平成16年〕
- 経歴
- 本間俊一衆院議員秘書、宮城県土地改良協会事務局長などを経て、昭和38年より宮城県議を2期。47年衆院議員に当選、以来10期連続当選。運輸政務次官、文部政務次官、自民党調査局長、党政調会長代理など歴任。自民党国鉄再建小委員会(三塚委員会)委員長として国鉄改革に手腕を発揮、60年第2次中曽根第2回改造内閣の運輸相として初入閣し、国鉄の分割民営化に尽力。63年竹下改造内閣の通産相、平成元年宇野内閣の外相、同年8月海部総裁の下で党政調会長。塩川正十郎、森喜朗、加藤六月と並んで安倍派の“四天王”と呼ばれ、3年派閥を継ぎ、三塚派の領袖となる。同年党総裁選に出馬するが敗れ、宮沢総裁の下で再び政調会長。7年党幹事長。8年第2次橋本内閣の蔵相となり、9年改造内閣でも留任。10年1月大蔵官僚の接待汚職事件により辞任。同年12月森喜朗に派閥を継承、会派会長を辞任し名誉会長となる。15年の衆院選を機に高齢と健康問題を理由に政界を引退した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報