三子山城跡(読み)みつごやまじようあと

日本歴史地名大系 「三子山城跡」の解説

三子山城跡
みつごやまじようあと

[現在地名]浜田市相生町

浜田川左岸、大祭天石門彦おおまつりあめのいわとひこ神社背後の三子山(約一四〇メートル)にあり、同社の神主で土豪の岡本氏によって築かれたとされる。尾根伝いに削平地がみられ、空堀遺構も認められる。明応八年(一四九九)一〇月二日の三隅興信感状(肥塚家文書)に「小石見三子山」とみえ、当地で敵勢をくいとめた肥塚三郎右衛門尉が賞されている。これより先、興国三年(一三四二)一二月日の某充行状写(岡本家文書)に「源三子道祖徳養子任由緒所宛行也」とみえるが、三子が人名地名かは不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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