三宅忠一(読み)ミヤケ チュウイチ

20世紀日本人名事典 「三宅忠一」の解説

三宅 忠一
ミヤケ チュウイチ

大正・昭和期の農業技術者



生年
明治28(1895)年3月23日

没年
昭和58(1983)年3月24日

出生地
岡山県児島郡灘村宗津(現・灘崎町)

学歴〔年〕
岡山農学校〔大正3年〕卒

主な受賞名〔年〕
黄綬褒章〔昭和44年〕

経歴
大正3年大原農業研究所助手となり、植物病害防除を研究。昭和2年岡山県庁農林技手に転じ、農作物病害虫の防除を指導した。20年岡山県農業会に入り参事、21年岡山県園芸協会創立に参加し専務理事、22年温室葡萄協会を創立し会長に就任した。26〜56年岡山県園芸連合会生産課長、参事、技術顧問を歴任、果樹生産の指導に当たる。著書に「岡山の果樹園芸史」「続岡山の果樹園芸史」「岡山の果物」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅忠一」の解説

三宅忠一 みやけ-ちゅういち

1895-1983 大正-昭和時代の農業技術者。
明治28年3月23日生まれ。大正3年大原農業研究所にはいり,植物病害防除を研究。昭和2年岡山県庁にうつり,農作物病害虫の防除を指導。県園芸協会,温室葡萄(ぶどう)協会の設立に参加した。昭和58年3月24日死去。88歳。岡山県出身。岡山農学校卒。著作に「岡山の果樹園芸史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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