20世紀日本人名事典 「三宅泰雄」の解説
三宅 泰雄
ミヤケ ヤスオ
昭和期の地球化学者 地球化学研究協会理事長;元・東京教育大学教授。
- 生年
- 明治41(1908)年4月17日
- 没年
- 平成2(1990)年10月16日
- 出生地
- 岡山県岡山市
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学理学部化学科〔昭和6年〕卒
- 学位〔年〕
- 理学博士〔昭和15年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 日本海洋学会賞〔昭和42年〕,日本気象学会藤原賞〔昭和50年〕,日本海水学会功労賞〔昭和52年〕
- 経歴
- 北海道帝大理学部助手、中央気象台技師、気象研究所地球化学研究部部長を経て、昭和32年東京教育大学教授、その前年カリフォルニア大学客員教授、47年定年退官。同年地球化学研究協会を創設、理事長。また43年日本地球化学会会長、50年日本海洋学会会長、日本学術会議会員もつとめた。29年の“第五福竜丸事件”直後、ビキニ環礁周辺海域の調査をし、以来放射能分析、放射線影響調査などで活躍。“人類の命運の啓示”として第五福竜丸の保存に力を尽す一方、原水禁運動、原子力発電所の安全性追求などに活躍した。著書に「地球化学」「科学者の眼」「死の灰と闘う科学者」「三宅泰雄科学論集」(全4巻)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報