三島江関(読み)みしまえのせき

日本歴史地名大系 「三島江関」の解説

三島江関
みしまえのせき

[現在地名]高槻市三島江三丁目

永享期(一四二九―四一)から文明期(一四六九―八七)にかけてあった淀川の河関の一つ。中関と下関があったことが知られている。永享一〇年三月二二日の河上関務請文(春日大社文書)には、淀関(現京都市伏見区)三屋みつや(現枚方市)大庭おおば(現守口市)の署判者に並んで三島江中関の道善・三島江下関の新五郎がみえる。当時奈良春日社の支配下にあったこの五関は、奈良興福寺の訴訟により法華寺殿国料船についての関銭免除の特権(過所)が廃止されたので、五関で公用関銭一〇〇文、年始・歳末・八朔礼文(祝儀)の沙汰進上を惣関務として請けている。三島江中・下両関のうちいずれかは文明期には京都下鴨社領となったようで、「親長卿記」文明三年二月二二日条によると、「三島郷関」とみえ、下鴨社禰宜祐康らは同社造営の費用捻出のため加茂伝奏甘露寺親長を訪問、親長は同社領「三島郷関」のことを奏聞すると答えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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