日本歴史地名大系 「三川新田」の解説 三川新田みかわしんでん 大分県:杵築市三川新田[現在地名]杵築市猪尾(いのお)杵築城下の南方にあり、八坂(やさか)川河口の南に広がる平地。正保二年(一六四五)入部した藩主松平英親は新庄(しんじよう)潟から納屋(なや)潟まで広大な干潟を埋めて、新田造成を図り、三川新田を完成させた。三川新田築造年には諸説があって不明。「杵築市誌」は寛文五年(一六六五)に着工し、同七年一〇月完成とある。「杵築郷土史」は国東(くにさき)町横手泉福(よこてせんぷく)寺の旧記を引用して、同五年より同七年一〇月まで三年を経たが、海水のため堤防が度々破壊して成就せず、津田小左衛門は駆落ちしたとある。「追遠拾遺」には寛文二年の項に「或記曰先年三川新田築立之節(中略)浪人須崎五郎右衛門と云者新田築方功者に付召抱えられ、新田奉行となり」とあり、同元年より同三年までようやく新田となるとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by