日本歴史地名大系 「杵築城下」の解説
杵築城下
きつきじようか
- 大分県:杵築市
- 杵築城下
寛永年間(一六二四―四四)と思われる木付城下図(浅野文庫)によれば、城の西のみが町で、のちの谷川筋は何も描かれず、北台と南台が武家屋敷、のちの寺町の所に「カラホリ二丁半ホト」と記されている。正保二年(一六四五)松平(能見)英親が速見・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
寛永年間(一六二四―四四)と思われる木付城下図(浅野文庫)によれば、城の西のみが町で、のちの谷川筋は何も描かれず、北台と南台が武家屋敷、のちの寺町の所に「カラホリ二丁半ホト」と記されている。正保二年(一六四五)松平(能見)英親が速見・
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…観光地としては,よく保存されてきた旧城下町の町並み,奈多海岸,住吉浜などがある。【勝目 忍】
[杵築城下]
はじめ〈木付〉と書かれたが,1712年(正徳2)幕府の朱印状に〈豊後国杵築領〉とされたことにより改められた。中世には大友氏の一族木付氏の居城であったが,1593年(文禄2)同氏が滅亡して,1600年(慶長5)細川忠興領となり,松井康之,有吉立行が城代となる。…
※「杵築城下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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