日本歴史地名大系 「三日城跡」の解説 三日城跡みつかじようあと 三重県:鈴鹿郡関町木崎村三日城跡[現在地名]関町木崎町木崎(こざき)町北方の丘陵にある中世の砦。元久元年(一二〇四)に起こった「三日平氏の乱」の三日平氏が拠った城塞といわれ、「吾妻鏡」同年五月六日条に張本人若菜五郎の城郭として「伊勢国日永・若松・南村・高角・関・小野」をあげ、「遂於関小野亡其命」とある。「鈴鹿郡野史」は若菜氏らの一党が籠った城を木崎の字三日城から鷲山(わしやま)の字三日所(みつかしよ)にかけての丘陵地と推定している。文禄三年(一五九四)の鈴鹿郡内小崎村御検地帳(坂口正一氏蔵)に上畠として「古城 八畝十六歩 壱石弐升四合 竹林」とみえる畑地はこの一画と思われる。「五鈴遺響」は木崎砦跡として「関駅東口木崎村ニアリ、天正十二年甲午(ママ)八月関安芸守盛信入道万鉄斎始テ築ク」と述べ、三日城跡として「同処山上ニアリ(中略)元久元年四月二十一日甲寅武蔵守朝政飛脚着ス、申シテ云、去月二十三日出京、爰ニ伊勢平氏等塞鈴鹿関所」をあげ、山腹の木崎砦は関氏、山上の三日城は三日平氏が築いたとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by