三春城跡(読み)みはるじようあと

日本歴史地名大系 「三春城跡」の解説

三春城跡
みはるじようあと

[現在地名]三春町大町・南町・山中・清水・亀井・北町

大町おおまち地内の標高四〇七・八メートルのおしろ山とよばれる独立した丘陵を中心とする付近一帯。大手前おおてまえから比高九三・七メートル、亀井かめいからの比高七一・三メートル。田村氏在城時代の三春城下絵図(福島県史)にはシダの木が描かれ、大志多おおしだ山ともよばれ、またつる城・舞鶴まいづる城などともよばれた(「田村麿旧跡物語」仙道田村荘史)。田村系譜(三春町史)によれば、応永五年(一三九八)に死んだ田村量顕の記事に「三春之城守護ス」とみえる。田村清顕死後の動静を記した「伊達治家記録」「伊達天正日記」に三春本城あるいは御館みたてと記され、田村氏支配の中心であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む