日本歴史地名大系 「三条釜座」の解説
三条釜座
さんじようかまんざ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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…一方,梵鐘,仏像,鰐口,灯籠等は専門の職人が寺社の注文に応じて食糧や住宅を与えられて出張製作した。三条釜座は鐘から鍋,釜までを造ったが,とくに鐘と茶釜の製作にたんのうであり,文明10年(1478)銘の清水寺銅鐘,延徳3年(1491)銘の旧北野社銅鐘,永正14年(1517)銘の知恩院旧鐘は現存する三条釜座製作の鐘である。方広寺の鐘を鋳た名越越前少掾藤原三昌と弟の名越弥五郎,織田信長から〈天下一〉と称された茶釜作りの名人西村道仁らの名工を輩出した。…
…室町時代末期から京都三条釜座において鋳造された茶の湯釜の総称。武野紹鷗,千利休による茶道の流行にともなって,芦屋,天命の古作ばかりでなく,茶人は好みの釜を注文するようになり,京作の釜の隆盛を促した。…
…織田信長の釜師。天正期(1573‐92)ころ京都三条釜座の鋳物師棟梁として勢力を振るい,天下一を号した。釜の遺品は少ないが,文禄・慶長(1592‐1615)ころ西村道仁とともに京釜の草創を成し,彼以後の名越家の礎を築いた。…
※「三条釜座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」