三条釜座(読み)さんじようかまんざ

日本歴史地名大系 「三条釜座」の解説

三条釜座
さんじようかまんざ

鋳造業者の同業組合で、中世以来、三条釜座町を中心に鋳物師が居住した。江戸中期の伝承では平安時代初期より存在したとする(正徳六年「柿芝鋳物師争論許状」)

<資料は省略されています>

正応二年(一二八九)「三条まちかまのさの弥藤三」が、東寺に納めた釜を三年間保証しており(東寺古文書零聚)、鎌倉時代には存在しているようだ。近江明参めいさん(現滋賀県伊香郡余呉村)には応永一八年(一四一一)の当釜座の作品がある。大永五年(一五二五)の後柏原天皇、天正二年(一五七四)の正親町天皇綸旨を伝え、同四年には織田信長もこの座を安堵している。

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百科事典マイペディア 「三条釜座」の意味・わかりやすい解説

三条釜座【さんじょうかまざ】

京釜

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世界大百科事典(旧版)内の三条釜座の言及

【釜座】より

…一方,梵鐘,仏像,鰐口,灯籠等は専門の職人が寺社の注文に応じて食糧や住宅を与えられて出張製作した。三条釜座は鐘から鍋,釜までを造ったが,とくに鐘と茶釜の製作にたんのうであり,文明10年(1478)銘の清水寺銅鐘,延徳3年(1491)銘の旧北野社銅鐘,永正14年(1517)銘の知恩院旧鐘は現存する三条釜座製作の鐘である。方広寺の鐘を鋳た名越越前少掾藤原三昌と弟の名越弥五郎,織田信長から〈天下一〉と称された茶釜作りの名人西村道仁らの名工を輩出した。…

【京釜】より

…室町時代末期から京都三条釜座において鋳造された茶の湯釜の総称。武野紹鷗,千利休による茶道の流行にともなって,芦屋,天命の古作ばかりでなく,茶人は好みの釜を注文するようになり,京作の釜の隆盛を促した。…

【名越善正】より

…織田信長の釜師。天正期(1573‐92)ころ京都三条釜座の鋳物師棟梁として勢力を振るい,天下一を号した。釜の遺品は少ないが,文禄・慶長(1592‐1615)ころ西村道仁とともに京釜の草創を成し,彼以後の名越家の礎を築いた。…

※「三条釜座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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