三栖廃寺(読み)みすはいじ

日本歴史地名大系 「三栖廃寺」の解説

三栖廃寺
みすはいじ

[現在地名]田辺市下三栖

左会津ひだりあいづ川の右岸、標高二三三メートルの衣笠きぬがさ山南麓の舌状台地上にあった寺。塔跡は三栖廃寺塔跡として国指定史跡。古くから小堂(弥勒堂)にある礎石や多量の古瓦の出土から寺院跡の存在が知られていたが、奈良時代前期(白鳳時代)から平安時代に至る寺跡と推定されたのは昭和に入ってからである。昭和五、六年(一九三〇、三一)調査が行われた(「和歌山県史蹟名勝天然記念物調査報告」第一一・一九三二年)。同四四年に寺域測量調査、同四九、五〇年に保存管理計画策定事業調査、同五三―五七年にかけて八次にわたる発掘調査が行われた(「田辺市三栖廃寺遺跡発掘調査概要」I―III・田辺市教育委員会・一九七八―八〇年)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報