三根山(読み)みねやま

日本歴史地名大系 「三根山」の解説

三根山
みねやま

[現在地名]巻町峰岡みねおか

角田かくだ山南麓に位置し、北国街道(弥彦街道ともいう)から分岐した道筋に沿い川を越え西方の山麓に向かって舟戸ふなと村・福井ふくい村があり、その間の地。寛永一一年(一六三四)長岡藩初代牧野忠成が四男定成を分知し、三根山領六千三石六斗九升四合、一七ヵ村が成立、三根山の地を陣屋および家臣の居住地とした。分知当時は丘陵山林であり、そこに福井村・舟戸村の田畑一町三反九畝一歩を引集めたものであり、現在の小字では、ほぼかみ町・しも町・中島なかじま丸山まるやま辺りとされる(三根山藩)。文久三年(一八六三)一一代牧野忠泰の時に分知時六千石の旧石高に込高五千石を合せ、一万一千石として大名に高直りするが、この時に再度福井村・舟戸村・弥五右衛門やごえもん新田・兵蔵新田の田畑七町九反八畝余を上地し、町づくりを行った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報