舟戸村(読み)ふなどむら

日本歴史地名大系 「舟戸村」の解説

舟戸村
ふなどむら

[現在地名]小山市田川たがわ

鬼怒川西岸に位置し、東は河内かわち下吉田しもよしだ(現南河内町)、西は同郡絹板きぬいた(現同上)、南は延島のぶしま村、北は篠原しのはら村。篠原村との間を田川が南流する。当村は元禄郷帳・天保郷帳などでは河内郡内とされる。しかし延宝二年(一六七四)の篠原村・舟戸村・坪山村高免につき年貢減免願書(神戸庄三郎文書)などでは都賀つが郡を称している。一般的には篠原村とともに都賀郡としたようである。なお天保九年(一八三八)の諸商渡世向取調書上帳(吉田金平文書)でも旗本杉浦知行所が都賀郡舟戸村、同北条知行所が河内郡舟戸村を称している。近世初めは篠原村として一括して扱われることが多く、慶安郷帳でも同村のみが記される。しかし文禄四年(一五九五)検地では高三七七石余、うち当村分二一一石余とみえる(年未詳「舟戸村・篠原村領主代々書上」神戸庄三郎文書)。寛永一〇年(一六三三)旗本山田領となり、同一九年の年貢皆済状(同文書)が残る。慶安元年(一六四八)の新開手形(同文書)では百姓弥左衛門田地跡が堰となり、このため成立した河原の開発が命じられている。


舟戸村
ふなとむら

[現在地名]大豊町船戸ふなと

東流する吉野川の南岸に位置し、集落庵谷いおのたに村から発する船戸川が吉野川に合流する付近にある。「土佐州郡志」は「黒石村西、東西十四町南北五町余」と記す。吉野川に対岸寺内てらうち村とを結ぶ渡場があった(文化九年頃の「豊永郷中家高人数地高諸覚」大家家蔵)。天正一六年(一五八八)の豊永地検帳に「舟戸村」とみえ、検地面積二町九反三五代(二歩脱か)、うち田分一町五反四七代三歩、畠分四反二三代三歩、屋敷数一五で九反一四代二歩。全体が長宗我部氏家臣豊永左兵衛の給地となっている。


舟戸村
ふなとむら

[現在地名]巻町舟戸

川左岸にあり、上木島かみきじま村の西に位置する。元和四年(一六一八)長岡藩知行目録に村名がみえ、六二石四斗余とある。寛永一一年(一六三四)三根山領となった(「長岡懐旧雑記」長岡の歴史)正保国絵図では七二石余で同領。元禄五年(一六九二)同領の六千石秋勘定帳(和納区有文書)にも村名があり、宝永二年(一七〇五)の宗旨御改入目銭帳(同文書)に舟戸組の名称がみえる。天保郷帳は三一〇石八斗余。安政二年(一八五五)の三根山領年貢納高(「三根山藩」所収)には舟戸村一〇五石二斗余・舟戸之内兵蔵新田五四石八斗余・同弥五右衛門やごえもん新田一五〇石七斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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