日本歴史地名大系 「三梨村」の解説
三梨村
みつなしむら
[現在地名]稲川町三梨
<資料は省略されています>
とあり、三梨氏の小野寺氏からの独立性がみられる。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には三梨子一千四一三石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば高は本田一千二五四石五斗二升七合、新田八五一石一斗八升、計二千一〇五石七斗七合(当高二千九石九斗三升二合)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
とあり、三梨氏の小野寺氏からの独立性がみられる。
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には三梨子一千四一三石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)によれば高は本田一千二五四石五斗二升七合、新田八五一石一斗八升、計二千一〇五石七斗七合(当高二千九石九斗三升二合)。
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