デジタル大辞泉
「国見」の意味・読み・例文・類語
くに‐み【国見】
天皇や地方の長が高い所に登って、国の地勢、景色や人民の生活状態を望み見ること。もと春の農耕儀礼で、1年の農事を始めるにあたって農耕に適した地を探し、秋の豊穣を予祝したもの。
「天の香具山登り立ち―をすれば」〈万・二〉
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くに‐み【国見】
〘名〙
①
大王や地方の
首長が高い所から国の地勢や人民の生活状態などを望み見ること。国を支配する者の支配の象徴的行為。
国司・
大名の鷹狩りなども同一の目的で行なわれたもので、「見る」すなわち「調べる」の意がしだいに具体化し、江戸時代には国の巡見をさすようになった。
※
播磨風土記(715頃)
揖保「品太
(ほむた)の天皇、此の阜
(をか)に登りて覧国
(くにみ)をしたま
ひき」
② 一般に、高い所に登ってその土地を眺めること。
※草根集(1473頃)一〇「村眺望
打出て国見をすれば大和路や里もむら山幾重ともなし」
[補注]本来は、春の農耕予祝儀礼としての土地ぼめ、国土讚美であったが、のちには儀礼的意味が薄れ、一般の人の
行楽にかわっていった。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
国見
くにみ
長崎県南東部,雲仙市北部の旧町域。島原半島の北部にあり,有明海に臨む。 1956年多比良町と土黒村が合体して国見町が発足。 1957年神代村を編入。 2005年瑞穂町,吾妻町,愛野町,千々石町,小浜町,南串山町と合体して雲仙市となる。雲仙岳北斜面の扇状地とそこを貫流する三つの小河川の流域が主要な生活基盤である。各流域は独自の生活圏を形成し,江戸時代,多比良と土黒 (ひじくろ) は島原藩に,神代 (こうじろ) は肥前藩 (鍋島藩) に属していたこともあって,ことばのアクセントや風習に若干の相違がある。神代は純農業,土黒は半農半漁,多比良は農業,漁業,商業を主とする。農業では米作が行なわれるほか,ジャガイモ,イチゴなどが栽培される。漁業ではノリの養殖が行なわれる。土黒川流域のオキチモズク発生地は国の天然記念物。神代には鍋島氏の鍋島陣屋跡を中心とした神代小路 (こうじろくうじ。国の重要伝統的建造物群保存地区) や鶴亀城跡,百花台など古代遺跡が多い。標高約 1000mの奥雲仙田代原高原は景勝地で,雲仙天草国立公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
国見 (くにみ)
日本古代の文献に〈廻望国状〉〈望国〉などとも言う共同体的な集団儀礼。〈見る〉行為はいわば離れて所有することであり,その演劇空間的な緊張関係が生命力をゆたかにするという,タマフリ信仰に立つ。もと,民間で春の初めに族長を中心に高所に登り遠くを望んで農耕の場を求め,クニタマを予祝してゆたかさをねがい,共同の飲食・歌舞や性的解放などの遊びをも含めて歌垣(うたがき)ともかかわっていたらしいが,やがて,中国帝王の巡行・郊祀(こうし)などの支配観念にも刺激されてか,王権儀礼的に政治化された。国見儀礼を場として国ほめの呪言(じゆごん)的な詞章や国見歌などがあり,歌は〈出で立ちてわが国見れば〉〈登り立ち国見をすれば〉などの表現類型をもち,雲・煙・水鳥・陽炎(かげろう)・花などの呪物を形象することが多いが,しだいに儀礼性から叙景性へ展開した。いまも国見山などの地名がのこり,民俗行事も伝えられる。
執筆者:本田 義憲
国見[町] (くにみ)
福島県北部,伊達郡の町。人口1万0086(2010)。中通り最北端にあり,宮城県白石市に隣接する。町の南部は阿武隈川北岸の低地が占め,北部は丘陵からなる。町名は厚樫山の古名国見山にちなむ。古くから交通の要地で,中心の藤田は奥州街道の宿場町として発達,蚕糸,絹織物の集散地でもあった。町中央をJR東北本線,国道4号線,東北自動車道が縦断し,国見インターチェンジがある。主産業は農業で,かつては米作,養蚕が中心であったが,近年は桃,リンゴなど果樹園芸に移行している。福島市への交通の便がよく通勤者も多い。国史跡の石母田供養石塔やおくのほそ道遊歩道がある。
執筆者:佐藤 裕治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報