日本大百科全書(ニッポニカ) 「三毬打」の意味・わかりやすい解説
三毬打
さぎちょう
平安時代、正月14、15日に行われた悪魔払いの儀式。三毬杖とも書き、年占(としうら)のために毬杖(ぎじょう)(毬(まり)を打つ道具)を3本立てることから始まる。『徒然草(つれづれぐさ)』に「さぎちょうは正月に打たる毬杖を真言院より神泉苑(えん)へ出して焼きあぐるなり」とある。その起源は中国にあり、正月を迎えて災いを除くため、爆竹を鳴らす風習が、渡来したものともいわれる。竹を燃して爆音に驚いた鬼を追い払おうということで、竹を3本縄で巻いて立て、扇をつるして焼く習慣が室町以後始まった。宮中では清涼殿東庭で天皇の御書初(ぞ)めの吉書(きっしょ)を、扇をつるした竹とともに焼いた。鴨(かも)長明の『四季物語』に「さぎちょうの具も稚児(ちご)だつ人のざればみ弄(もてあそ)び物となり、焼け残りたる扇に赤き房付けたる……」とある。
また、左義長とも書き、仏教と道教の優劣を試みるため、仏教の書を左に、道教の書を右において焼いたところ、仏教が残り、左の義長ぜり(優れている)という意味である、ともいわれる。
[山中 裕]