左義長(読み)サギチョウ

デジタル大辞泉 「左義長」の意味・読み・例文・類語

さ‐ぎちょう〔‐ギチヤウ〕【左義長/××杖】

《もと、毬杖ぎちょうを三つ立てたところからという》小正月の火祭りの行事。宮中では、正月15日および18日に清涼殿の東庭で、青竹を束ねて立て、これに吉書きっしょ・扇子・短冊などを結びつけ、はやしたてながら焼いた。民間では、多く14日または15日に野外で門松などの新年の飾り物を集めて焼く。その火で焼いたもちや団子を食べると病気をしないとか、書き初めの紙をこの火にかざして高く舞い上がると書道が上達するという。どんど焼き。さいとやき。ほっけんぎょ。 新年》「―へ行く子行き交ふわらの音/草田男

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精選版 日本国語大辞典 「左義長」の意味・読み・例文・類語

さ‐ぎちょう‥ギチャウ【左義長・三毬杖】

  1. 〘 名詞 〙 ( もと毬杖(ぎっちょう)を三本立てた三毬杖から起こるという )
  2. 正月に行なわれる火祭の行事。宮中では正月一五日および一八日に、清涼殿の南庭で、青竹を立て、扇などを結びつけたものに、吉書を添えて焼いた。民間では、多くは一五日に長い竹数本を立てて、正月の門松・しめなわ・書初などを持ち寄って焼く。その火で餠などを焼いて食べると、その年は病気にかからないとされている。どんど焼き。さぎっちょう。《 季語・新年 》
    1. 左義長<b>①</b>〈難波鑑〉
      左義長難波鑑
    2. [初出の実例]「件香水入白瓷瓶天門冬苔葛等之、置三岐杖上」(出典:真言院御修法記‐永治二年(1142))
  3. 木や竹を三叉に組んだもの。
    1. [初出の実例]「一人史持三木張、昇陣座上」(出典:台記‐保延二年(1136)一一月二日)

左義長の語誌

( 1 )三毬打」「三毬杖」は火祭の行事を行なうときの本来の用法に基づく表記である。
( 2 )近世以降は「左義長」と書かれるのが一般的である。これは、仏教の書を左に、道教の書を右に置き、焼いて優劣を試みたところ、仏教の書が残り、左の義長ぜり(優れている)という「訳経図記」にある故事からという俗説〔徒然草寿命院抄〕がよく知られている。

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改訂新版 世界大百科事典 「左義長」の意味・わかりやすい解説

左義長 (さぎちょう)

小正月の火祭。一般に1月14日か15日に行う。九州では6日か7日が多い。竹を主材料に,円柱状,あるいは円錐形,方形などに組み,中心の心竹に,御幣に相当する飾りや縁起物を付け,それを,すす払いに出た前年のお札や,4日か7日にさげた門松や正月飾と一緒に焼く。この火で餅やだんごを焼いて食べると無病息災であるとか,書初め(かきぞめ)を焼いて高く飛ぶと手が上がるとかいう。本来は,供物を焼きあげ,新年の祈願をささげる行事らしい。子ども仲間(子供組)を中心にした行事で,小屋を作って生活する習慣もあり,盆行事の盆がまや盆小屋と一対をなす。京都に近い地方ではサギチョウと呼ぶ土地もあるが,全国的には,広くトンド系統の語(〈どんど焼〉など)で呼ばれる。九州ではオニビ(鬼火),ホッケンギョウという。トンドもホッケンギョウも,左義長のはやしことばに由来する。東日本では道祖神祭になり,サイトウ,サイトヤキなどとサイト系統の語で呼ぶ。室町時代の宮中の左義長も同じ行事で,1月15日に青竹を束ねて立て,書初めや扇を付けて焼いた。18日には,宗教芸人の唱門師(しようもじ)が参内して行う左義長があった。左義長は三毬打,三毬杖とも書くが,語源ははっきりしない。《永治二年真言院御修法記》(1142)に,宮中の真言院で1月15日に,神泉苑の水を加持した香水を入れた瓶を〈三岐杖〉の上に置くとある。《徒然草》に〈さぎちゃう〉は正月に用いた〈ぎちゃう〉を真言院から神泉苑に出して焼きあげるとあるのは,この〈三岐杖〉のことであろう。
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百科事典マイペディア 「左義長」の意味・わかりやすい解説

左義長【さぎちょう】

古くは三毬杖,三鞠打などと書いた。宮中では正月15日と18日に清涼殿東庭に毬杖(ぎっちょう)を3本立て,うたいはやしながら焼いた。民間では新年に行われる火祭の行事。どんど,どんどん焼,さんくろうなどともいう。小正月を中心に14日の夜または15日の朝が多いが,7日に行うところもある。おもに子どもの行事で,正月の松飾などを各戸からもらい集めて焼く。丸太とわらでつくった小屋で,前夜から米や餅(もち)を共食し,最後に小屋を焼き払うところもある。
→関連項目門松かまくら正月小屋道祖神爆竹羽子板盆小屋繭玉

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「左義長」の意味・わかりやすい解説

左義長
さぎちょう

小正月(こしょうがつ)を中心に行われる火祭り。正月の松飾りを各戸から集めて、14日の晩方ないしは15日の朝にそれを焼くのが一般的な方式である。社寺の境内、道祖神のそばや河原などで行われる。トンド、ドンドンヤキ、サイトウ、ホッケンギョなどさまざまによばれており、いまなお広く行われている。サギチョウというのは、すでに平安時代の文書に「三毬打」または「三毬杖」としてみられるが、3本の竹や棒を結わえて三脚に立てたことに由来するといわれている。火の上に三脚を立てそこで食物を調理したものと考えられている。餅(もち)などを焼いて食すことはその名残(なごり)かもしれない。いずれにしても、木や竹を柱としてその周りに松飾りを積み上げるものや、木や藁(わら)で小屋をつくって子供たちがその中で飲食をしてから火を放つものなど多様である。関東地方や中部地方の一部では道祖神祭りと習合しており、燃えている中に道祖神祭りの石像を投げ込む事例もある。長野県地方のサンクロウヤキは松飾りとともに、サンクロウという木の人形を燃やす。また九州地方ではオニビとよばれて7日に行われている。多くの土地では、火にあたるとじょうぶになるとか、その火で焼いた餅を食べると病気をしないなどという火の信仰が伝承されている。なお、中心の木を2方向から引っ張ったり、あるいは燃えながら倒れた方向によって作柄を占う、年占(としうら)的な意味をもつようなものもある。

[佐々木勝]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「左義長」の意味・わかりやすい解説

左義長
さぎちょう

ドンド焼き,サイト焼き,ホッケンギョウなどともいう。正月に行われる火祭の行事で,道祖神の祭りとしている土地が多い。一般に小正月を中心に 14日夜ないし 15日朝に行われている。日本では正月は盆と同様魂祭でもあり,亡者への供養のために火祭を行う。左義長は子供の行事となっているところが多く,正月の松飾り,注連縄 (しめなわ) などを各家庭から集め,一定の場所で焼く。この火は神聖な火とされ,餅や団子を焼いて食べたり,灰を体にまぶしたりすると健康になるという。子供たちが前夜からわらなどで小屋を造ってここで飲食をともにして遊び,最後に火を燃やす例もある。秋田のかまくらなども左義長行事の一つである。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「左義長」の解説

左義長
さぎちょう

小正月の火祭の一つで,平安時代にすでに15日または18日に陰陽師(おんみょうじ)が関与する宮廷行事としての記録がある。類似の行事はドンド・トンド・サイトウなど地方によって呼び方が異なり,九州では7日のオニビがこれにあたる。いずれも注連縄(しめなわ)や松飾などの正月飾や達磨・書初めなどを子供たちが集めて,道祖神の近くや神社の境内などで焼く。円錐形に積みあげて点火するが,その芯に3本の竹か木をくんで三脚状にしたのが左義長の語源ともいわれる。子供たちが集まって仮小屋として食事をともにしてから火をつけるところもあり,鳥追やカマクラなどとの関連がうかがえる。火にあたるとその年を健康に過ごせるとか,火で焼いた餅を食べると風邪をひかないなどという。

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旺文社日本史事典 三訂版 「左義長」の解説

左義長
さぎちょう

平安時代以来,小正月に行われる火祭り
どんど焼きともいう。平安時代の小正月の宮中の火祭りは陰陽師が奉仕した。近世は民間でも正月14日の夜か15日の朝,子供たちが松飾りなどをたき,餅や団子を焼いて食べ,災難よけのまじないとした。

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