神泉苑(読み)シンセンエン

百科事典マイペディアの解説

神泉苑【しんせんえん】

平安遷都の際に大内裏の南に接して造営された皇居内庭園で,国の史跡。南北4町(516m)・東西2町(252m)の広大な敷地を有していた。池を中心とした大庭園で池の周囲には乾臨閣楼閣釣殿,滝殿などの殿舎が並び,天皇や廷臣宴遊の場として用いられた。863年に都に疫病が流行り,869年には神泉苑の南端に66本の鉾を立てて祇園社から神輿を出し,疫病退散を祈願したことが現在の祇園祭の元となったと言われている。中世以降は荒廃し,規模を縮小した。1607年再興された寺となり,聖観音を本尊とする護国寺となっている。地下鉄東西線建設に伴って,苑の東限と西限の築地塀や,船着き場と考えられる遺構が発見された。

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世界大百科事典 第2版の解説

しんせんえん【神泉苑】

平安初期庭園の遺跡。京都市中京区門前町に所在。平安京選定と同時に計画された禁苑で,大内裏の南東に隣接し,北は二条,南は三条,東は大宮,西は壬生大路に囲まれた南北4町,東西2町の広大な地を占め,周囲に築地をめぐらし六つの門を開いていた。苑内北東部に神の泉の名のとおり水量豊富な湧泉があり中央部の大池にたたえられ,池には大きな中島があった。池に南面して正殿(乾臨閣)があり屋根には鴟尾しび)を上げた。正殿の左右に閣が,池に臨んで東西に釣台があり,これらは廊でつながれていた。

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大辞林 第三版の解説

しんせんえん【神泉苑】

平安京大内裏だいだいりの南に接してつくられた禁苑。京都市中京区に池泉の遺構を残す。天皇の遊覧に供するため造営されたが、のち、雨乞いの法を修する場などにも用いられた。

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国指定史跡ガイドの解説

しんせんえん【神泉苑】


京都府京都市中京区門前町にある庭園。794年(延暦13)の平安京造営の際に、桓武(かんむ)天皇が大内裏(だいだいり)南の沼沢に設けた禁苑(天皇の庭)である。つねに清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられ、12万m2もの広さの苑内には大池や泉、森林などの自然を取り入れた庭が造られて、敷地の北部には宮殿が建てられた。天皇や貴族はここで舟遊びや観花、弓射、相撲などの宴を催し、御池通(おいけどおり)の名の由来にもなった。1602年(慶長7)の徳川家康による二条城築城の際に敷地が削減されたが、現在も平安の面影を残している。境内には願いが叶う法成橋(ほうじょうばし)や、年の恵方(えほう)を祀る歳徳神(としとくじん)がある。また、神泉苑は霊場としても知られ、824年(天長1)に大干ばつに悩む淳和(じゅんな)天皇の勅命により、弘法大師(空海)が神泉苑に善女龍王(ぜんにょりゅうおう)を勧請して雨乞いの修法をほどこすと、法成就池(ほうじょうじゅいけ)から龍が天に昇り、雨が降ったという伝説が残っている。863年(貞観5)には御霊会(ごりょうえ)が行われ、祇園祭山鉾(ぎおんまつりやまぼこ)巡行の起源となった。源義経と静御前(しずかごぜん)の出会いの場としても有名である。1935年(昭和10)に国の史跡に指定された。地下鉄東西線二条城前駅から徒歩約4分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

神泉苑
しんせんえん

「しんぜんえん」とも読む。平安京の禁苑。二条南大宮西(京都市中京区)に、東西2町、南北4町の地を占めた。泉、池、森林などの自然の景観を利用し、正殿の乾臨閣、左閣、右閣、東西の釣台(つりだい)などの建物があり、寝殿造の先駆といえる。桓武(かんむ)天皇以来、天皇の行幸・遊宴がしばしば行われた。9世紀の中ごろ以後になると宗教的性格が強まり、雨乞(あまご)いの祈祷(きとう)や御霊会(ごりょうえ)を行う霊場となった。中世以降は荒廃し、現在は池を中心としたごく一部が、東寺(とうじ)に属する寺院として残っている。[吉田早苗]

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精選版 日本国語大辞典の解説

しんぜん‐えん ‥ヱン【神泉苑】

(「しんせんえん」とも) 平安京造都の時、大内裏の南に接して営まれた禁苑。南北四町、東西二町の地を占めて造り、池や林などの自然の景観を取りこみ、乾臨閣などの楼閣を配したもので、平安初期しばしば行幸があり、遊宴、遊猟などが行なわれた。天長元年(八二四)、空海がここで請雨法を修したとの伝承もあり、そのころから善女龍王がまつられて、祈雨または止雨の霊場となった。また、御霊会(ごりょうえ)も行なわれた。平安末期から次第に荒廃し、現在は中京区門前町に苑池の一部を存し、真言宗教王護国寺(東寺)に属する寺院となり、近年、乾臨閣や池の跡が発掘されている。京都の訛(なま)りで、「ひぜんさん」「ひでいさん」ともいう。国史跡。しせんえん。神泉。

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世界大百科事典内の神泉苑の言及

【京都[市]】より

…記録の上では,9世紀半ばすぎ,貞観年間(859‐877)あたりから顕著となる。とくに863年5月,流行する咳逆(がいぎやく)病を鎮めるため,神泉苑で催した御霊会(ごりようえ)は,その後に展開する各所の御霊会の最初となったが,その一つ祇園社の御霊会がもっとも典型的な都市型祭礼として発展し,今日に及んでいる。生活基盤の弱体であった京中住民の救済のために,水旱損のおこるたびに米塩を放出支給する賑給(しんごう)がしばしば行われ,のちには年中行事化した。…

※「神泉苑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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