三池藩陣屋跡(読み)みいけはんじんやあと

日本歴史地名大系 「三池藩陣屋跡」の解説

三池藩陣屋跡
みいけはんじんやあと

[現在地名]大牟田市新町

柳川から三池宿を経て肥後領に通じる三池街道沿いにあった三池藩立花氏一万石の陣屋。柳川城主立花宗茂の実弟高橋統増は、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦で兄とともに豊臣方に付いたため所領を没収され浪人するが、のちに許されて江戸幕府に仕官、同一八年常陸柿岡かきおか(現茨城県八郷町)に五千石を与えられて立花直次と名を改めた。直次は元和三年(一六一七)に江戸で没するが、同六年田中氏が断絶すると、立花宗茂は柳川に再封され、同七年直次の嫡子種次も三池郡一五ヵ村一万石を与えられて三池藩を起こした(「玉峯時代記」三池立花家文書)。同年の郡村帳(同文書)によると、稲荷とうか・大牟田・加納開かのうびらき片平かたひら下二部しもにぶ早米来ぞうめき馬籠まごめ臼井うすい一部いちぶ勝立かつだち藤田ふじた舟津ふなつ今山いまやま櫟野いちの教楽木きようらぎの一五ヵ村で、高は合計一万三石余、うち玄蕃高九千八三六石余・新田高一六三石余・玄蕃高寺社領分三石余である。なお寛文一二年(一六七二)の村別石高(大牟田市史総説)には上記一五ヵ村のほかに下里さがり村七五五石余がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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