日本歴史地名大系 「櫟野村」の解説 櫟野村いちいのむら 滋賀県:甲賀郡甲賀町櫟野村[現在地名]甲賀町櫟野(いちの)杣(そま)川の支流櫟野川の谷に位置。村域は櫟野川に沿って鈴鹿山脈に至り、南東は伊勢国鈴鹿郡(現三重県)、伊賀国阿山(あやま)郡(現同上)。那須(なす)ヶ原(はら)山(八〇〇メートル)が神(か)村との境に位置。「いちうの」ともよばれる。集落は櫟野川の中流域に点在し、下(しも)の組(くみ)・中の組・下田(しもだ)・上の組の垣内に分れる。中世は天台宗櫟野(らくや)寺領と大原氏領であったともいう。下の組垣内の南および北側には土塁の残る滝川(たきがわ)城などの中世城跡がある。 櫟野村いちのむら 福岡県:大牟田市櫟野村[現在地名]大牟田市櫟野勝立(かつだち)村の東、三池(みいけ)山の南麓にある。北は今山(いまやま)村、南は肥後国。勝立村との間を三池街道が南下して肥後国に入る。文禄四年(一五九五)の高橋統増(立花直次)に宛てられた知行方目録(三池立花家文書)には「いちいの」とあり、高五二二石余。元和七年(一六二一)三池藩領となる。同年の郡村帳(同文書)には櫟野村とあり、玄蕃高八七八石余、小物成は山手米三石余・樹木米七斗。文化三年(一八〇六)以降幕府領(のち柳川藩預)。旧高旧領取調帳では高一千二四一石余。慶応二年(一八六六)の三池郡寅御成箇郷帳(野口弥家文書)では村高一千二四二石余に対し毛付高一千一三八石余、年貢三九八石余とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by