日本歴史地名大系 「三津寺町」の解説
三津寺町
みつてらちよう
大坂三郷南組に属し、屋敷数は元和六年四〇、承応四年(一六五五)四一、寛文元年(一六六一)四五で、役数は各々四五役、うち年寄分一役が無役。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大坂三郷南組に属し、屋敷数は元和六年四〇、承応四年(一六五五)四一、寛文元年(一六六一)四五で、役数は各々四五役、うち年寄分一役が無役。
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…浪速(花)之渡は難波済(《日本書紀》),難波之大渡(《古事記》)とも書かれるが,難波津と書くのが普通である。その位置については諸説あるが,上町台地の西麓から1km余り西の大阪市南区三津寺町付近とするのが有力である。《続日本紀》の御津村,《行基年譜》の御津村,津守村は難波津に接する村であろう。…
※「三津寺町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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