三津寺町(読み)みつてらちよう

日本歴史地名大系 「三津寺町」の解説

三津寺町
みつてらちよう

[現在地名]南区三津寺町

南毛綿みなみもめん町の南にあり、東西の三津寺筋を挟む両側町。東は心斎橋しんさいばし筋より半町ほど西側から、西は御堂みどう筋・佐野屋橋さのやばし筋を過ぎて炭屋すみや町との境まで。三津寺町は元和六年(一六二〇)三津寺村の全耕地が市街地となって生れた町の一で、同村民が町の構成員となった。このとき三津寺町の面積は一町一反余・分米一五石余であったが(「三津寺畠やしきニ成申候帳」御津宮文書)、同年の三津寺町屋敷ノ帳(同文書)では面積一町三反余・分米一七石余。この差異の理由は不明だが、後者が以後三津寺町の面積・分米高となった(承応四年「水帳」同文書)。元和六年以後寛永一一年(一六三四)の大坂三郷地子免まで、地子銀二七一匁四分を負担した。地子銀は分米の八ツ取一三石余に課せられている(三津家文書)

大坂三郷南組に属し、屋敷数は元和六年四〇、承応四年(一六五五)四一、寛文元年(一六六一)四五で、役数は各々四五役、うち年寄分一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三津寺町の言及

【難波】より

…浪速(花)之渡は難波済(《日本書紀》),難波之大渡(《古事記》)とも書かれるが,難波津と書くのが普通である。その位置については諸説あるが,上町台地の西麓から1km余り西の大阪市南区三津寺町付近とするのが有力である。《続日本紀》の御津村,《行基年譜》の御津村,津守村は難波津に接する村であろう。…

※「三津寺町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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