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三浦正次 みうら まさつぐ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三浦正次 みうら-まさつぐ

1599-1641 江戸時代前期の大名。
慶長4年3月11日生まれ。三浦正重の子。母は土井利勝の妹。徳川秀忠の妾腹ともいわれる。徳川家光に近侍し,寛永7年(1630)下総(しもうさ)矢作(やはぎ)(千葉県)などに計1万石を領して譜代大名となる。10年六人衆(のちの若年寄)に任じられ,16年下野(しもつけ)(栃木県)壬生(みぶ)藩主三浦家初代。2万5000石。寛永18年10月27日死去。43歳。三河(愛知県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

三浦正次

没年:寛永18(1641)
生年:慶長4(1599)
江戸前期の大名。通称は甚太郎,左兵衛,官職名は志摩守,父は正重,母は土井利昌の娘,母方の叔父は土井利勝。幼くして徳川家光に付属される。元和8(1622)年小姓組組頭,寛永1(1624)年書院番組頭となる。7年加増を得て1万石を領知し大名となる。9年秀忠死後,家光の近臣と定められ,10年松平信綱,阿部忠秋,堀田正盛,太田資宗,阿部重次と共に六人衆(のちの若年寄)となる。15年島原の乱のとき上使として現地へ赴く。16年下野(栃木県)壬生城を賜り2万5000石を領知した。家光近習出身の典型的新参譜代大名のひとり

(しらが康義)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

みうらまさつぐ【三浦正次】

1599‐1641(慶長4‐寛永18)
江戸前期の大名。三河国重原に生まれる。父は正重,母は土井利勝の妹。1607年(慶長12)徳川家光の小姓となり,以降家光に重用される。一時,姓を改め土井姓を名のる。23年(元和9)従五位下志摩守に叙任。小姓組組頭,書院番組頭を経て小姓組番頭となり,30年(寛永7)には1万石を領し大名となった。33年松平信綱らとともに六人衆(のちの若年寄)となる。39年加増され2万5000石を領し,下野国壬生(みぶ)城主となる。

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世界大百科事典内の三浦正次の言及

【三浦氏】より

…(1)相模国三浦出身の中世武家。桓武平氏。良茂流とも良文流ともいう。代々清和源氏に属して繁栄し,平安末期義明(よしあき)のとき初めて〈三浦大介(みうらのおおすけ)〉を称した。以後三浦氏の嫡流は代々〈三浦大介〉を称した。大介の呼称は相模介に由来するとする説もあるが定かではない。平安後期より三浦氏は房総半島に対峙する三浦半島を本拠に一帯の海上を支配圏内におさえ,相模では最強ともいえる雄族であった。1180年(治承4)源頼朝の伊豆挙兵も,三浦氏の荷担があって初めて実現しえた。…

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