武家の職名。小性とも書く。古来,身分の高い人が他出するときに随従する人々や家臣を扈従人(こしようにん),扈従輩などと称したが,この扈従を借字したのが小姓であるといわれている。主君に近侍してその身辺の雑務にあたるほか,外出の折や戦場にあっても騎馬もしくは徒歩にて側近く仕える近臣の称呼である。鎌倉・室町幕府の職制の中にこの職名はみられないが,室町時代末期には将軍の近臣を指す称呼として〈小性〉〈小性衆〉がある。戦国大名諸氏や織田・豊臣家などでは多く職制化されており,小姓組,小姓衆として番体制がとられている例もある。奥むきの雑用にたずさわる奥小姓,主君外出の際に騎馬で随従する騎馬小姓(小姓組),徒歩で随従する歩行小姓(中小姓)などと区別される場合もあった。また元服以前に近侍する若年の小姓を小(子)小姓といった。
執筆者:佐藤 堅一 江戸幕府の職名としては小性(奥小性)と中奥小性(表小性)とがある。小性は将軍に近侍し,その日常の雑務に従った。人数は約30人。500石高の役職。頭取数人が置かれた。中奥小性は儀式の配膳役等に従事し,人数は二十数人。持高で務めた。ともに若年寄に属し,従五位下に叙せられた。また諸藩の職名に大小性,中小性等がある。
→小性組
執筆者:松尾 美恵子
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小性とも書く。主君に近侍し、身辺の雑用をたす武士。江戸幕府には小姓(奥小姓ともいう)と中奥(なかおく)小姓(表(おもて)小姓ともいう)とがあった。いずれも草創期の設置。小姓の員数は20~30人。なかに小姓頭取が数人あった。常時将軍に近侍し、身辺の雑務に従い、将軍の大奥(おおおく)出入りの際は、かならずその送迎を任務とした。平の小姓、頭取ともに若年寄支配、諸大夫、役高500石、家禄(かろく)1000石以下は役料300俵であった。中奥小姓の員数は20~30人。もっぱら中奥に出仕し、儀式のあるときは配膳(はいぜん)役送に従い、そのほか諸般の雑務をつかさどった。若年寄支配、諸大夫、持高、山吹間(やまぶきのま)詰であった。
[北原章男]
小性とも。江戸幕府の職名。貴人の側近で雑用に従事することを職務とし,多くは少年を用いたが,室町末期から近臣の役名に使用された。江戸幕府では表(中奥)小姓と奥小姓がある。表小姓は将軍に近侍せず,もっぱら中奥(なかおく)に詰めて儀式の配膳などの雑用を行った。奥小姓はたんに小姓ともよばれ,将軍の側近で雑用を処理した。隔日勤務で宿直もあり,将軍の執務時間以外はほとんど側に詰めていた。将軍が大奥に渡るときは送迎する。表・奥小姓それぞれ数十人ずつおり,ともに布衣(ほい),500石高。1000石以下に役料300俵,500石以下には足高(たしだか)を支給。小姓頭取によって統轄され,若年寄の支配をうけた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…将軍手もとの金銀・衣服・調度を管理・出納し,諸大名・旗本らからの献上金銀・諸物,諸大名・旗本らに賜与する金銀・時服などのことを取り扱った。納戸は江戸時代以前は納殿と称し,衣類・諸器具を蔵するところで,出納をつかさどる役人がいたが,職名が定まったのは江戸時代であり,最初は小姓の兼役が過半であった。納戸方の長官を納戸頭といい,1635年(寛永12)初めて2人が置かれた。…
※「小姓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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